言葉について(8)
真実を語らせたければ仮面を与えよ。
こんなニュアンスだったと思います。オスカー・ワイルドの言葉。
その意味で、ブログには本音が溢れていたりします。
いつも月夜の晩のようにホロリとさせられる。
「手紙」は嘘をつかない。
確かに文章は正直で、伝えるものの本質を表す。
それが故に、恐れてしまう人もいる。誤解ということを理由にして
それとはまったく逆に、
とてつもなく酷い言葉に出会ったもします。
どうしてここまで相手を否定たり、罵倒したり、攻撃できるのか。
ドラスティックに、エキセントリックに、粘着質で、不毛な論争。
論理的なスタイルをとっているよですが、論点はいつも咬み合っていない。
酷い。
そこに仮に、正義とか言い分があるとしても
その独善的な必死さに違和感や不可思議を感じる。
実際にリアル世界でこんな対話ができるものだろうか?
ハンドルネームという仮面がなせる技なのでしょうかね。
しかし、それは真実でも彼らの本音でもないような気がします。
実際にはその100分の1もリアル世界では発していないように思います。
じゃなかったら、破綻する。所謂「厄ネタ」という者になってしまう。
それほど、過激で苛烈で非情。
そういう人もいるでしょうが、いるにはいるが、いたとしても
それとはまた違う。
ネットの仮面を誤って使っていると思います。
それは決して、彼らの本音ではないような気もする。
擁護するつもりはないのですが、そう思います。
バランスをとろうとしている。
自分の本質とかけ離れた言動を余儀なくされているのでしょうか、
本来のそれに立ち帰るべきところを、それを飛び越えて
その位置はそのままにして、対極的な人格を作り上げている気がします。
それでストレスは発散できるのか?
痛いです。
相手を否定することでしか自分を肯定できない。
そして、それは決して本音などではない。
言葉は言霊で「コダマ」ですから必ず返ってくる。
自分を、自分の言葉を、大切にしたいものです。