答えはあっても
私たちは性急に答えを求めがちです。
たぶんこれも合理主義の徒花でしょうか。それとも情報多寡か。
人は幸せになるために生まれてきました。
これが人生の目的です。
それは非常に個人的なものです。
愛するもののため、国家のため、色々な理由や動機もすべては、
それを幸せと感じる
その人のものでしかない。
30万円で殺人を請け負う者もあれば、
知らない異国の発展に命を捧げた者もいます。
古今東西の多くの哲人たちが、こうすれば幸福になれると説いています。
答えは明らかになっている。
でもそれが実行できない。言うは易し。でしょうかね。
たとえば、
「幸福とは自分の分を知ってそれを愛することだ」(ロマン・ロラン)
なぜならば、
「他の人はみな、秋の落ち葉のひとつひとつに、希望のない滅びの感をそそられるのに、
彼は裸となった葉にも、めぐって来るやさしい春の芽生えを
すでに観るからである」(ヒルティ)
そして、大鋸屑をひこうとするものが跡を絶たない。とカーネギーは言う。