あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛情の勝ち負け




傷つくのがこわいんじゃない。
傷つくことが恐いんだ。


どう?やっぱり文法的におかしいかなあ(汗)。

文芸春秋の新書で根本橘夫の『傷つくのがこわい』を読んで、
そんな言葉を思うのでした。

何を言いたいかというと、
「 傷つく事以前に傷つくのではないかという不安が恐れになっている 」

だったら、そう言えばいいじゃない。 と妻はいうのですが、
それじゃあ、なんか理屈っぽくて味気ない。
もっと文学的に(?)

なんかいい言いまわしはないでしょうかね。


私たちは傷つくことを非常に恐れています。
過去の学習効果の賜でしょうか。
いんや、さほどの「どん底」があったようにも思えない。
むしろ、どん底を経験した人ほど強かったりするものです。

悲しい免疫力といわれかねない。かもしれませんけどね。


私たちはすべてを勝ち負けで判断しがちです。

愛が少ない方が勝ち 情に負けない方が勝ち



そんなの嘘だよね。 ねえ、そう言ってよ。

嘘です。

私たちは愛を求めます。求めてやまない。
愛する時は真剣でも、その見返りをどうしても求めてしまう。
確認しなければ不安でしょうがない。

恋の駆け引き。なんてありますが、その比率は均等よりも
やや相手に比重があるほうが安定しているように感じます。安心かな

そして破綻すれば、相手の不実を恨みます。
自分の方が愛の分量が多かったことを「恥」に感じてしまう。
負けた。と嘆き悲しんで傷つく。


情にほだされるな。とも言われます。
「現実は厳しい」と説教もされる。そんなの「甘い」と。
そんなものかと納得してしまいます。

「結局人間は物と金。利害で動く」

これに対して昨日、寺田さんはこう付け加えました。

「そして情で動く」

彼はねえ、元警察官。秋葉原を管轄してたりして沢山の取調を経験してきた人。
犯罪の加害者を観て接してきた人です。
その動機や生い立ち環境など、職務中に揺れる思いが幾度となくあったそうです。
その度に「情にほだされてはいけない」と奥歯を噛みしめていた。
それゆえに彼が「元」となったわけではありませよ。
今はバリバリの機動隊員です。恐いよお(汗)


いつからか日本人はとても臆病で
思いこみの激しい人たちになってしまいました。

現実的といいながら、それはちっとも現実的でない。
ゆとりのない薄っぺらな仮面をつけてしまった。


私たちは「常識」という名の誤った「世間知」を信じてる。
それに説得力があるのではなく、
そう考えるほうが多分、楽だからでしょうかね。

かといって、それじゃあ満足できないはずなのに。


現実の厳しさは、そんなところにゃ無いよ。