あかんたれブルース

継続はチカラかな

なんとかとマニュアルは使いよう




だいぶ前の記事に儒家と法家のことを書きました。

なんというか、前者が「仁(愛)」を方法論としますから性善説
後者は「法」を持ち得て国を治めようと考えるので性悪説です。

以前の記事にはマニュアルの弊害とかを重ねて
「愛」が足りない社会を訴えた内容でした。

でも人間っていうのは野放図で自堕落で御都合主義なので
やっぱり法家の言うことも一理あるなあと、考えちゃいますね(汗)。

食品偽装やら教育現場の荒廃・不正などなど。
今に始まったことじゃないんですけど、どうにもこうにもです。

両者の間。やっぱり「中庸」なのですが、このバランスが難しい。

私はよく、マニュアル社会を批判する記事を書きますよね。

もっと、考えんかい、想像力はないのか、応用はきかんのかアホ。てな具合。

でも最近、このマニュアルっていうのも道具であって
使い方次第、つまりはマニュアル自体が悪いわけじゃないんだと、考えさせられます。

もともとマニュアルとは能力の平均化を目的とします。
人間にはどうしても個人差があります。
それをある一定のレベルまで押し上げて平均化しようというものです。

太平洋戦争の後期に「零戦」などの軽戦から「雷電」や「紫電改」などの重戦に
主力戦闘機が代わります。でもなかなかうまくいかない。

エンジンなどの問題が大きいのですが、
パイロットが乗り慣れた軽戦から重戦だと勝手が違ったってこともあります。
これは人材の力量もあるんですね。
日本は人材を軽視していましたから。

それと整備員の問題がある。こちらも「飛燕」などの新型戦闘機になかなか
慣れなくて、うまく整備できなかったようです。

米国などは図解入りの分かり易いマニュアルを作って対処していたようです。

日本にはマニュアルはなかったのか!

ありました(汗)。

あるにはあったのですが、これが難しい(涙)。
仰々しい言いまわしと漢字の羅列で、何を書いているのか理解するのに
非常に時間と根気と労力を要したそうです。

日本の場合は兵器を「恐れ多くも天皇陛下から賜った」貴いものと位置付けたので、
そういった表現になったわけですね。

アホらしい。

いまでもそういう表記のものってありますよね。
何をかいてあるかチンプンカンプン。法律とか保険の説明(笑)

これで戦争に負けた。とは言いませんが、
効率悪くて、マイナスになったのは確かです。
敗因のひとつですね。

こう考えるとマニュアルもバカにできません。
なんでもモノは使いよう。ですね。