あかんたれブルース

継続はチカラかな

タイムマッシーン「馬太郎号」で




ラガマフィンさんから『鬱の力』という新書を紹介してもらったのは
先月のことでした。

さっそくアマゾンで購入。五木寛之という著名よりもタイトルに惹かれた。

結果は・・・。本のタイトルにひっかかりましたね(汗)。

ラガマフィンの紹介文でも
「もっと鬱の文学者の紹介とかしてほしかった」と不満はありました。

それがヒントになりましてね。鬱の作家ねえ、、、五木寛之?(爆)。

まあ、それはそれとして、
私は「鬱」の社会現象っていうのを不思議に感じていました。
確かに不景気や閉塞する組織のシステム、ストレスなどなど
鬱を(ここでいうのは神経症など全般をさします)
蔓延らせてしまう要因はたくさんあります。

しかしさ、不景気ってたってもっと以前からもっと酷いのがたくさんあった。
昭和大恐慌とか。敗戦なんて焼け野原ですからもっと凄い。

貧富の格差というけれど、ちょっと考えてみてください。
いま以前の歴史をちょっと振り返ればさほどの想像力も必要としない。

それ以前は士農工商ですよ。絶対的な格差があったわけだ。

ストレスにしても戦時中のストレスは大変だったと思いませんか。
兵士も民間人も誰でも。

こういったことを前々からうすらぽかんとは考えていたのですが、
ラガマフィンさんの鬱の文学者というヒントから
明治の文豪・森鴎外。じゃなくて、夏目漱石を最初に思い浮かべるわけです。

彼が神経症だったのは有名ですからね。

と、もうひとつ。
私の尊敬するマイ大スター・杉山茂丸の生涯年表を整理していると
「脳病で療養」というのが2箇所でてきます。

「うつ」っていう病名や症状が一般化する前はノイローゼというのがありました。
それ以前は「ふらふら病」とかを小説などで目にしたこともあります。
「神経衰弱」とか「脳病」という言葉が明治では一般的なようです。

まあこういうのが今で言う「うつ」とか神経症とかの類でしょう。

しかし、あの怪人魔人「杉山茂丸」が鬱を病むとは・・・。

もしかすると、私たちが把握する「鬱」とは、
その本質とギャップがあるもかもしれない。

それもあって「鬱の力」には期待したのですが、
なんせね お手軽に作った対談本ですから(汗)。

鬱は文化の記号だといいます。さて、どうでしょう?

ちょいと幕末明治にタイムスリップしてみますね。