「鬱」はペリーの黒船がもたらした?
ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする。
馬太郎の頭をたたいてみれば、トントン入ってますか?
なんの返事もありません。まさか、からっぽ? 焦って何度もノックする。
コブができるだけ、空洞化だ(汗)。
さて、太平の世を揺り動かしたはたった四隻の黒船でした。
「たった四ハイで夜も眠れず」
このペリー来航のショックは相当なものだったようです。
これが切っ掛けで日本は鎖国をとき、革命が起きて明治という近代国家の道を歩む。
その五十年後には大国ロシアを撃退するわけです。
文化の印という「鬱」もここから始まり、日露戦争でピークに達した。
こんな図式がみてとれる。意外でしたねえ。
明治の栄光の影に鬱の蔓延があったなんて、私は正直なところ気づかなかった。
なんだと思います? 原因は?
色々ありますが、「自由」みたいですね。
まあそういう言い方はうがった見方で誤解を生じるかもしれません。
それはちょっと置いてといて、
結局は「不安」から発しています。「恐れ」と考えても結構です。
日本という国が、それまでの藩という地方自治体の集合体国家から
国家としての統治に集約されたのが明治という時代です。
それまでの身分制度で、たとえ士族でも足軽の子は足軽、家老の子は家老。
といった具合でしたが、幕末維新で下克上があり、足軽中間の子が宰相に登りつめる。
藩閥政治の後に、努力すれば(つまり勉学に励めば)、栄達は得られる。
この一点で、没落した士族のママは教育ママになったそうです。
息子を叱咤激励して縄に縛って夜中の12時までガミガミ。
あなたは清和源氏の直系で世が世なら200石取りの侍大将。なんてね
まあそうじゃなくても、末は博士か大臣か
私大なんか少ない。大学自体が少ない時代でしたがみな青雲を夢見て勉学に励みます。
お金のないものは軍人です。官費で学べて給料を出ましたから。
鬱はこういうところからまず生まれたようです。
どうの頭脳を酷使するとよくないようです。
その酷使とは、嫌々ながらとか、心配や不安によるもの。
世の中はそうそう単純じゃないですから
色々な矛盾もあるわけです。
事実、当時の大学生(青年層)やインテリ層に鬱は蔓延しています。
あるものは自由民権運動に奔ったりしますが、だから治るというものでもない。
それは文士などにも言えることでしょうかね。
夏目漱石の名を前回出しましたが、友人の正岡子規。
二葉亭四迷とか、、、。後の芥川龍之介まで拡大傾向にあります。
「鬱」は文化の烙印?(2)