あかんたれブルース

継続はチカラかな

草枕して思ふ吾輩は鬱である




「じゃあ、明治で二番目に嫌いな人は?」

「はい!はい! 福沢諭吉です!」


ああ、またやってしまった(汗)。王様の耳はロバの耳
塾長からは「沈黙は金」と教わったのに、

ケータイ小説で泣いたという1000万人を敵にして
文豪鴎外ファンを敵して、尚かつ慶應出身者までをも敵にしてしまった。

以前、なぜ福沢諭吉が嫌いかは記事にしました。
一言でいえば、私の好きな勝海舟に「幕臣のくせに明治政府の役職つ就いて!」
と論争を吹っかけたからです。

私は鴎外含めて「論争好き」が嫌いなようですね。

夏目漱石「うつ」だったのは割とよく知られています。病名は別として

この症状を決定的にしたのは漱石英国留学が原因だそうですね。
時は1900年。
所謂「大いなる鬱」に大英帝国が冒されて真っ直中のロンドンに身をひそめます。

ここで漱石は多くの本を購入して部屋に閉じこもって
疲れ果てたイギリスの弁明を読みとる。

英国いや欧米の発展主義に危惧と懐疑を持ちました。
漱石は思考します。この世の矛盾すべてを背負うように。

この辺りが渡米・渡欧した福沢諭吉との違いなのですね。
諭吉が渡航したのは咸臨丸での1860年(再渡米が1867年)、
渡欧は1862年です。時期が違う。
その頃はイギリスもまだ「大いなる鬱」に入っていませんからね。

元気いっぱい。自信満々の西洋文化を持ち帰ったのが福沢諭吉です。
学問のすすめ」です。

日本の欧米化推進の強行派だったのは確かですね。

  (福沢に対しては北里柴三郎を支援したことは評価します。
   これは例の脚気問題で北里が細菌説に異を唱えたことから鴎外などの
   東大派閥に締め出しをくらったことから。変な因果ですね(汗))


さて、漱石はそう手放しで西洋文明を賛美することができない。
少し長くなりますが『吾輩は猫である』から引用してみますね。

   西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、
   あれは大なる欠点を持っているよ。
   第一積極的と云ったって際限がない話しだ。
   いつまで積極的にやり通したつて、満足と云う域とか完全と云う境にいけるものじゃない。
   
   川が生意気だって橋をかける、山が気にくわんと云ってトンネルを掘る。
   交通が不便だと云って鉄道をしく。
   それで永久に満足ができるものじゃあない。
   さればと云って人間だもの どこまで積極的に我意を通すことができるものか。
   西洋の文明は積極的、進歩的かもしれないが つまりは不満足で
   一生をくらす人の作った文明さ。
   日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるものじゃない。
   西洋と大いに違うところは、根本的に周囲の境界は動かすべからざるもの
   と云う一大仮定のもとに発達しているのだ。


いいですねえ、漱石節炸裂です。まあ鬱の思考の特徴もありますが、
それはそれで非常に価値があって、深い考察と説得力があります。

西洋文明万々歳の福沢諭吉とはちょっと違うでしょ。
まあジェネレーションギャップといえばそれまでですけどね。

さて、帰国した漱石も世間のしがらみには頭を抱えたようです。
もう一発『草枕』から

    山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
    智(ち)に働けば角(かど)が立つ。
    情(じょう)に棹(さお)させば流される。
    意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。

    とかくに人の世は住みにくい。