あかんたれブルース

継続はチカラかな

究極の理論派天才が陥った「うつ」

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司馬遼太郎の最高傑作といわれる『坂の上の雲』は
日本がまだ若かった頃の楽天家たちのドラマである。なんちゃって(汗)

理想や夢や志が現実や国家に結びつけられたた時代だったのですね。

楽天家たちは坂を登ります。よそ見なんかしません。ただ一点を見つめる。

それは、その登る坂道の先にある、坂の上に青い空があって、
そこにぽっかりとひとつ、白い雲がある。

彼らはただその雲をみつめて、坂を登る。


こんな感じ。これが『坂の上の雲』のタイトルのイメージです。
私はケータイ小説では泣かないけれど、このタイトルをつぶやくだけで泣ける。
50歩100歩かもね(汗)。

楽天家の明治の漢たちの群像劇に大いに心を熱くしました。
100年前の日本人といまの私たちのギャップに立ちすくむ想いに駆られます。

そういうなかで「うつ」というものを明治に重ねてみることに
意外さと戸惑いを隠せないのですが、続けます。

この群像劇の主人公は秋山兄弟と正岡子規という設定になっています。
子規が「うつ」だったという指摘はいままで考えてもみませんでした。

そこで、
子規の親友でもう一人の主人公秋山真之(弟)のことを考えてみました。

天才作戦参謀として、日露戦争で決定的な勝利を獲る日本海海戦
その立役者ですが、彼は戦後、宗教に強く心を惹かれ、精神に異常をきたしたとも言われています。

それには若干異論があるのですが、秋山真之の生涯を俯瞰してみれば
確かにそういう「うつ」状態の時期はあった。と私は思います。

それはバルチック艦隊を迎え撃つにあたって、その航路が日本海か太平洋かという
選択の時にありました。

秋山は天才です。
その天才とはなにか? それは情報収集能力といえる。

目的はロシアに勝つ。その一点に彼の能力は集約されます。
膨大な資料からそのために必要なもの不必要なを選り分ける能力。
彼の作戦は古今東西のあらゆるものからそれを導き出しました。

「うつ」を心配や不安に伴う脳の酷使、疲弊と書きました。

現実的に考えて、たとえばクラウゼヴィッツの『戦争論』と照らし合わせて
勝てないと。児玉源太郎は頭を抱えた。(これは陸軍の話)
実際にその前任責任者だ田村怡与造は過労・ストレスで急死していました。

秋山真之「うつ」状態の現場はそこではありません。

彼は現実主義であって合理主義者であり、そして天才的で楽天家でもあった。
旅順攻撃で何万死のうと、絶対に攻略すべしという考えの持ち主。
肉を斬らせて骨を斬る。将棋でいえば丸裸になっても最後は勝てばよし。
目的はロシアに勝つ。この信念が揺らぐことは決してなかった。

その秋山真之が大きく悩み「うつ」に陥ったのが
この日本海海戦前夜、敵艦隊が太平洋を通るか日本海を通るか?

これで悩んでしまいます。

悩んで考えても答えが出ません。
天才作戦かとして抜擢され、期待された男が無能状態になってしまう。

これに檄を飛ばし方向性を決定させたのは
島村速雄という元参謀長だった。

「敵に海戦というものを知っている提督がひとりでもいるならば、
 必ず、対馬日本海側)を通る!」

島村のこの一言で決します。

この海戦をふくめて日本海軍の勝利には数々の天佑があったようです。
それは単にラッキーと片づけられない目に見えない力を感じたのは
秋山だけではなかったと思います。

天才が悩み「うつ」に陥る。
それはどんなに頭脳を酷使して考えても答えの見出せない時にあるようです。
理詰めでも合理主義でも導き出せないことはあります。

では、島村速雄は秋山を超える思考能力があったのか?
答えはNO。でしょうね。

旗艦「三笠」の作戦司令室で震えていた天才の目に、
ずぶ濡れの島村が叫ぶ。
その発する言葉と姿は、天才秋山真之には
あたかも神をみる思い、だったかもしれません。





「鬱」は文化の烙印?(6)坂の上の鬱(一)

島村速雄についてはこれをご参照ください。
本日閉店在庫大処分これでダメならお代はいらない「明治イイ男列伝」(3)
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/5784581.html

画像はクラウゼヴィッツ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%BC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%84
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