あかんたれブルース

継続はチカラかな

明治三傑の鬱

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さて、話を急ぎましょう。といって話は幕末明治に後戻り。

黒船ペリー来航が日本人の「うつ」の始まりだとしましたが、
薩長(島津と毛利)が関ヶ原のリベンジで明治維新を成功させます。

その主役たちで維新後まで生き残ったものは少ない。

目標とした新生国家にも現実という問題は山積みでした。
そういう状況で多忙と疲労と閉塞はあるわけです。
「うつ」の条件はそろっている。

代表選手は桂小五郎、名を替えて木戸孝允
西郷隆盛大久保利通とともに「維新の三傑」として並び称せられ人物ですが、
彼が維新後、頭痛に悩まされた神経症であったことは有名ですよね。

もともとは馬車から転落して頭を打ったのが原因(明治6年)だといわれますが、
切っ掛けはどうであれ、木戸が新政府で疲弊してストレス障害になったのは間違いない。
その前年の欧米視察でホームシックを強く訴えていたようですから
このメランコリックは明治政府の抱える矛盾をどっぷりかぶったのが一番の原因でしょう。

木戸の「うつ」が攻撃的になる場合、かつての子分だった伊藤博文に向けられます。
「あの野郎は今でこそ偉そうにしているが、昔は酒の肴の豆腐の値段を気にしていた」
こういうことを云われると伊藤も面白くありません。
長州閥を離れて薩摩の大久保利通に寄り添っていきます。

さて、維新三傑でもう一人。
西郷隆盛も「鬱」だったのではないかと、この頃強く感じています。

こんなことは大きな声ではいえません。
鹿児島ではいまだ西郷さんは神格化されたままですし、
歴史ファンでも信奉者やファンは多い。
塩野七生がシーザー、マッキャベリに続いて5番目ぐらいに認める愛すべき男じゃないでしょうか。

でもね、最初から云っているように、私は鬱を悪者にしようって思っちゃいない。
むしろ「敬天愛人」の西郷さんだからこそ、維新後の新政府要人たちの堕落と
現実に心を痛めたのではないかと思うのです。

征韓論からの西郷さんの行動には理解不能な点があるのは
西郷ファンの大きな悩みでもあります。
肥満やフィラリア(金玉肥大)の持病の影響もあるかもしれませんが、
閉塞感に憔悴する悲しい目をした西郷さんを想像してしまうのです。

三傑の最後の一人、大久保利通
この冷徹な理論派。そして鉄の意志を貫く漢。
西郷さんとは対照的に鹿児島ではまったく評価されない(涙)。
でも寡黙な彼の肖像の目に私は「鬱」を感じます。
それを誰にも語ることなく、憎まれ役を一身に背負って凶刃に倒れてしまいました。

西郷隆盛「うつ」大久保利通の「鬱」
盟友だったこの二人がそれぞれの役割を担って「無私」を貫く。
それは発展とか進歩とかという単純ものとは少し次元の違う、
もっと深い深い闇の中の思考があったように思います。

「鬱の力」のひとつはこんなものかなあと、思いました。





「鬱」は文化の烙印?(5)
写真は木戸孝允(上)と大久保利通(下)