あかんたれブルース

継続はチカラかな

繰り返す「時代の躁と鬱」




さて、日露戦争が終わって、勝つには勝ちましたが日本も日本人も
クタクタに疲れてしまいます。

躁から鬱になっちゃう。

こんな唄が当時、流行りました。

1、母ちゃんごらんよ向こうから サーベルさげて帽子きて 父ちゃんに似たおじさんが
もしや坊やの父ちゃんが帰ってきたのじゃあるまいか

2、また母ちゃんを泣かせるの 坊やうちの父ちゃんは 今度の旅順の戦争で
名誉の討死をなされたの あの床の間のお位牌が 坊やのうちの父ちゃんよ


なんともはや切ない唄です。
近代戦争の猛威をモロに受けた。それが日露戦争でした。
次男坊三男坊を亡くして、ガックリきた親たちの記録が残されています。

明治天皇もこの日露戦争の心労で相当に疲弊したようです。
直接の死因は糖尿病の悪化ですが、糖尿病とストレスの関係は大きい。

  もともと明治天皇には「その気(糖尿病のことじゃないよ)」があった。
  というか代々の遺伝だったようです。それと、
  明治天皇は15人の皇子・皇女を女官に生ませますが、その内の10人が短命。
  (最長で2歳1ヵ月。死因は脳疾(1)、脳水腫(1)、脳膜炎(6))
  また、明治天皇毒殺説もありますが、これは例の陰謀説でガセ。

脱線しそうです。さて、

軍事バブルもペシャンコ。不況に喘ぎます。

このころから急速に軍隊に宗教が蔓延していきます。
陸軍では大迫尚道(乃木第三軍での砲兵旅団長)が積極的に関わりました。
当時は少将から中将、もしくは大将ですからかなりの影響力。
日蓮宗です。

秋山真之が宗教に興味をしめしたのはこの頃。
(けれども彼はどの宗派にも入らなかった。)
秋山が変人あつかいされて海軍から距離を置かれたのは
戦後の海軍組織が硬直していったことにあると思います。

組織は誕生したときから老朽化していく。それは陸軍も同じ。

みんなが、漠然とした不安と閉塞感に苛まれていったようです。
日露戦争に勝って、先進国の仲間入りをはたしたけれど
それは新たな競争社会への参加と閉塞をもたらす結果となりました。

なんか今と似てますね。

時代は鬱から躁に替わります。
最初はみんな狂喜する。いや、突破口を無理に見いだそうとした。

  夏目漱石が懐疑したを西洋文明に対して、より積極的な行動にでたのが
  満州事変の仕掛け人・石原莞爾
  彼は日蓮宗で、その予言から東西文明が対決する最終戦争を企画します。



時代が一気に昭和に飛びました(汗)。
再度、時代を戻します。


「鬱」は文化の烙印?(8)坂の上の鬱(三)