あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛の力で最終回




「鬱の力」とは何か?

思考の力。なのでしょうね。

創造、クリエイティブの力。

「うつ」の弊害に対して、宗教家は「考えるな」といいます。
「こだわるな」と諭します。その通りかもしれません。

でも、さ。それでよければ苦労はしませんよ。締め切りは明日だ(汗)。
そういった宗教で納得できる人はいいのです。また、

「あるがままに」ともいう。

自分のあるがままに自然に、
それが無いから困っているのでしょう?
見失った者たちにその言葉は酷だよ、坊さん。

ユダヤ人たちは、背負った宿命と、立ちはだかるキリスト教の壁から
脂汗の思考から「哲学」を生み出しました。これも鬱の力。

芸術家たちはそこから側頭葉を刺激してカタチにしました。これも鬱の力。

このブログで、武士道についてもよく取り上げますが、
そのテキストを生んだ新渡戸稲造「うつ」だったといわれます。
キリスト教文明の欧米諸国に日本人を如何に理解させるか、
彼の思考のカタチが『武士道』に表されました。これも鬱の力。

その思考が行き場を失って閉塞して疲弊する状態が「うつ」なのでしょう。

それは個人的なものです。

鬱は自己変革の場でもあります。その兆し。

自身を見つめたときに、その理想と現実の乖離に存在する。

自分の着ている衣が合わなくなった、そぐわなくなった、そう感じている。
感じない人には「うつ」など存在しません。

でもなかなか今までの服を脱ぎ捨てられない。
これまで色々と試行錯誤して理論武装して仕立てた服を脱げない。
ここにジレンマがあり不安があります。

それを踏み越えられた「うつ」は消える。バイバイ。

ひとりひとりが持つ「魂」は不変です。

その対外的な環境との間に「精神」がある。
それが仲介役を担って奔走しているのですが、どうもうまくいかない。
魂は変わりません。疲弊するのは精神だけ。
自分自身の魂がどうしたいのか、どう在りたいのか。

「それがわからない」という。

ウソです。本当はわかっている。

わかっていてもできない。それが真実です。

答えがわかっていてもできないこともありますよね。

あとは勇気と行動だけ、期は熟している。
それが「うつ」の状態。

変わることを魂が求めています。時には悲鳴のように精神に訴える。

それで心と体が痛みます。



「変われますか?」

変われます。

それが自然の摂理というものです。

本気で変わろうとすれば変われる。
本気にならなければ、なにも変わらない。
ここから先は自分自身でやるしか仕方がありません。




「鬱」は文化の烙印?(11)
妃嬢が心配してくれいるので、これで最終回にしますね(汗)。
罪な男だねえ、馬太郎。