置き石
小学校低学年の頃、この「置き石」という言葉は私達にとって恐怖だった。
鉄道の線路に石を置く行為。最近ではカラスもやるそうですが・・・
そういうのが流行ったのか、事故とかもあったりして、
そしてその犯人の子が捕まった。
莫大な賠償金を支払うこととなった。
親がね。成人したらその子も払うのでしょう。一生かかって。
とかそういうの子供心に恐怖に感じました。効果はあったと思います。
雪山登山など登山には遭難がつきもの。
「ああ、あれで一財産なくすんだなあ」
テレビの横で大人たちの呟きが、刺激的だったものです。
海難と違って、山の遭難は自腹だといいます。今はどうかしりませんが、
私は絶対に山登りをするなと親に言い聞かされて育った。
昨日でしたか、落書きされた東急東横線のニュース。
最近これも流行っているそうです。
キャスターが、「いったいなぜでしょう!?」
茶の間の私「お前らが宣伝してるからだろ!」(最近テレビに向かって話しかける癖が(汗))
まあ、いいや。
模倣犯というか、安っぽい自己主張。
若気のイタリと言うのはあまりにも薄っぺら。他に考えつかなかったのか?
置き石のことを想い出しました。
ネットで無責任なことを書き込む愉快犯という連中もあります。
すべて実害を金に換算して支払わせればいい。
財源はここにあるぞ。自民党諸君。
三笠フーズもすべて差し押さえして企業買収に奔る企業家に転売してしまえ。
社長以下関係者すべて私財差し押さえ、それでも足りない。
最後まで払い続ける。それが責任というものかもしれません。
そういうのを非民主的とかいう人もいるかもしれないけれど、
歯止めが利かない。
道徳というものには、ある種の恐れがあると思うのです。
それは償いというものだけではない、目に見えない畏怖する心。
そういうのがまったくない社会って、恐いよ。
すこし、ドラスティックでしたが、まあそんなところです。