あかんたれブルース

継続はチカラかな

恩師の言葉




高校に進学して、それでも漠然と歴史の先生になるのが夢でした。

が、中学時代はそこそこ勉強していれば、なんとかそこそこなのですが、
急に難しくなる。

そして、クラブ活動だギターだ恋愛だ失恋だ映画だ南薩白樺派だ麻雀だ飲酒だ喫煙だバイクだと、
学校の授業以外にトンボのいや馬のメガネは七色十色。

まったく、勉強しない。結果、2年の頃はドロップアウトして
クラスでビリになっちゃた(汗)。

それなりに予感と覚悟はしていましたが、いざ中間テストの結果表をみると
やっぱりショックです。

青春の蹉跌。

それより驚いたのは、今回は私が最下位になりましたが、
それ以前に最下位だったクラスメートはいたわけです。不思議だった。
誰? わからない。
みんな澄ました顔をしている。

人生は高みを知らなければ高さは分からない。底辺を知らなければ深さは分からない。

取り敢えずは「底辺」を知って、意気揚々じゃない意気消沈。

そんなある日

野球部の顧問の先生の結婚を記念して部員一同がバーベキュー大会に招待されます。

うちの野球部には二人の指導者がいて、今回の主宰者が監督の古典の先生で
もう一人は部長という肩書きの英語の先生でいた。

情けないことに部活以外でも二人の先生の期待に応えられない不肖な私。

それでも二人とも優しい先生ではありました。
二人とも日教組の若き闘志でもあった。
部活が自主トレだった帰り道に市役所の前で鉢巻きをしている二人を目撃したときは
妙な気持ちだった。

そのバーベキュー大会で、私は部長先生とひょんなことから映画談義となります。
部長先生は私の想像を超える知識を有していた。
これまで周囲にそういう友人がいないので、そこまで語れる相手がいなかた。
私はこれまでのモヤモヤダムが大決壊土石流で熱く語りました。

フェリーニ、デシーカ、フォード、黒澤、ペキンパー・・・
中学2年から集英社の映画雑誌『ロードショウ』の年一回の付録
「スター年鑑」を便所の友にして、すべて暗記した成果の個人面談。
楽しかった!

そんなの覚えないで英単語英熟語でも覚えろよ、とは部長先生は言わない。
彼の担当する「コンポジット」の前回のテストはたったの「4点」だったとに(涙)。
それでも、先生も熱く映画を語ってくれた。

「馬太郎、女優で一番美しかは誰じゃと思うか?」

「グレース・ケーリーと言おごっだっぱってん、やっぱいビルナ・リージじゃながですか」

「『女房の殺し方教えます』ちいや」

「だっど、『25時』のラストのビルナ・リージは美しかです」

とかね。

部長先生は「西部劇」と「時代劇」の対比と相違の持論を語ってくれた。
私は東映時代劇しか観ていなかったので、半分しか納得できませんでした。
それでも楽しくて、こもままずっと先生と話していたかった。朝まで(恥)

劣等生の自分が教師と肩を並べて同等に話せることが嬉しかった。


2年生の終わりに野球部をやめました。
理由は色々ありますが、まずレギュラーになれなかったことですね。
一緒に外野で歌合戦をやっていた新ちゃんはサードにコンバートして4番打者。
九州大会の招待高・柳川商業を破れば春の選抜に出場できる。
我が野球部は開校以来始めての黄金期にあって、私はやめてしまった。
また半端物の人生だ。

それなのに、卒業時の野球部の「寄せ書き」には私の分も作ってくれて
色紙にチームメート(後輩含めて)がメッセージを書き記してくれました。

その中に部長先生の言葉があった。

「自分を卑下せずに・・・」

その後の言葉は忘れてしまいましたが、まあ自信をもてとか頑張れとかだったのでしょう。

「自分を卑下せず」

この言葉は自分を勇気づける言葉になった。

その後、上京して成人して社会人になって、
何度も挫折を経験したとき、何かに挑戦するとき、
いつもこの言葉がエールになったものです。

この薩摩士族の代表的な苗字を持つ部長先生はいつしか
私の心の恩師になっていた。のさ(笑)



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