あかんたれブルース

継続はチカラかな

恩師の言葉−2




それから時間が過ぎて、12、3年経ったかな。

父親が問題を起こして、その後処理に単身帰省しました。
その合間に友人から顧問先生の所在を訪ねました。鹿児島市内かと思いきや
隣町の加世田という町の農業高校に赴任されている。

どうしても会いたかったのです。

電話しました。緊張した。ドキドキしました。
意外にスムーズに繋がり、学校の近くの喫茶店で会いました。

くしゃくしゃの顔をして喜んでくれた。以前に比べて太っておられた。

ちょうど細川内閣誕生の日でしたかね、先生がその話題を気にしていたので
覚えています。それをたどれば再会の日が分かりますね。

一通り、話して。私が帰省した理由も問われたので簡単に話しました。
「高齢者の問題は、特に鹿児島は、遅れている」と漏らしてくれました。

先生の方はおかわり御座いませんか。奥様はお元気ですか。
言葉の繋ぎに一度だけ会ったことのある先生の家族の話題に水を向けてしまった。

「彼女は恋人ができてね、別れたんよ」

意外な言葉が返ってきました。
「彼女」と「恋人」という言葉が、この田舎町と教師のシチュエーションにそぐわない。
私が十数年、時を刻むように、先生もまた違う時を刻んでいた。
当然といえば当然ですね。

もっとたくさん色々なこと自分のことを話したかったのですが、
この言葉で話せなくなってしまいました。

それでも最後、別れ際に、あの言葉の御礼をいいました。

「自分を卑下せず・・・」

そして別れた。


それからまた15年ほど経って、人生二度目のどん底を経験して、
私は四十を過ぎて岐路に立たされ、その選択が正しかったどうか今だ分かりませんが、
一冊の本を書き上げました。
この『「坂の上の雲」を101倍堪能する・日露戦争明治人物烈風伝』と
前年に共著で書いた『訓録・仁義なき戦い』を小包にして部長先生に送りました。

やくざと戦争の話じゃシャレにならないかな、とも思いつつ、
今の俺にはこれが精一杯だし、まあいいかあ、と。
その中に添えた手紙には、
あの時の言葉がどれほど救われたかと、自分の志は「伝える」ことだと
書きました。

その数日後、久々に新ちゃんと池袋で飲んだ。
このブログでもよく登場する私の小4からの親友。彼も同じ野球部。
新ちゃんは家族が赤旗購読者だった性を背負って、引き継いで、
なにかと議論好きという悪い酒癖があります(汗)。
ただ、喧嘩は強いのですが、議論は下手くそで私はこれまで負けたことがない。
いつも途中で泣くのは決まって新ちゃんです。

まあ30歳を越えると泣かしてばかりいられないので、適当にはぐらかせるか
そっちの方に話を持っていかないように、と。これが私の思いやりだったのですけどね(笑)。

しかし、その夜は私の本を買ってくれたというのと、久々の再会で
新ちゃんの焼酎のピッチが早かった(汗)。
「なんで、戦争を美化するような本を出す必要があるのか」と来る。

私も酔っていたので、
「どこに、そんな記述がある。いったいどこまで読んだ」

「えっ、え〜と、高橋是清までかなあ」

「バカヤロ、前半60頁じゃないか。288頁の2割で語るな全部読め」

とかね、その後に侵略戦争云々の講義を約7分。あっ、また新ちゃんが涙眼。

話題を替えようと、その本を部長先生に送ったことを話しました。

そしたら、新ちゃんに「バカなこと」をしたと言われた。

「ないごで(なぜ)?」

「馬ちゃん、○○○○ちゃん(部長先生の愛称)は今じゃ県の日教組の大幹部だっど(だよ)、
 そういう人がそういうものを受け入れる訳がなが(ない)」

えっ、そうだったの。知らなかった、日教組に入っていたのは知ってたけど、
そんな役職でそういう立場だったとは・・・。

新ちゃんは江戸の敵を長崎で。とばかりに勝ち誇っている。
そんなことより私は動揺してしまった。目が虚ろ泳いでしまっている。

返事なんかこないよ、よしんば反論でも返事が来たら
俺は○○○○ちゃん、凄いと思うな。新ちゃんがたたみかけるこの言葉が痛い。

無口になってしまった。

私の異変に気がついたのか新ちゃんがやたらと気を使い始める。

「馬ちゃ〜ん」と甘えだす。うるさい!
勘定を済ませて帰りました。


結局、新ちゃんの言うとおり返事は来なかった。

かといって、私が部長先生のことを嫌いになったとかじゃなくて、
あの言葉はやはり大切な恩師の言葉であることに変わりはありません。

私が嫌いなのは日教組

これが、私が日教組を決定的に嫌う、まったく「個人的な」理由。その2、でした。


イデオロギーは人間の情愛や想い出さえもケチをつけてしまう。

「思想というものは要するに理論化された夢想または空想であり、本来はまぼろしである。
 それを信じ、それをかつぎ、そのまぼろしを実現しようという狂信狂態の徒が
 出てはじめて虹のようにあざやかさを示す。」             
                             司馬遼太郎『世に棲む日日』より



厳しいねえ(涙)