あかんたれブルース

継続はチカラかな

みょうに「ハウル」が沁みた夜




昨夜は『ハウルの動く城』で痛く感動したUUの馬太郎でした(涙)。

二回目にして(妻は三回目と主張しますが、おおかたどこかで飲んだくれていたか?

最初に観たときは勢いに押されて、そこまでよく把握できなかった。

愛と運命といたわりを痛感したんだ。

たぶん、私のいまの心境がそういう風景のなかにあったんでしょうねえ。

とてもオセンチ、メートル。秋のせいかしらん。
哀しいものたちの性に出会ったせいでしょうか、またほとぼりがさめたらそれも書きます。ね UU

「荒れ地の魔女」っていい味を出していましたね。

老いもひとつのテーマでした。

あのボケ具合に母親を思い浮かべてしまいます。

私たち中年ミドル世代はこの時期テーマとして「ミドルエイジ・クライシス」というものに
陥る。いえ経験のだそうです。

それは、親離れをして自立して家庭をもって、自分の子供たちから
親離れをされる、つまり拒絶されることから
その頃の自分を想い出し、自分の両親に対しての自分の行為を悔いる。
そのとき、自分の親たちは老いている。

その和解をもとめるプロセスがあるのだそうです。

私はまだ子供が小さいのですが、老いを否定することのできない母親に対して
ジレンマを隠せない。それはときどき記事にもしてきました。

肉親の老いはつらいものですよね。

自分が親になって、その立場になってはじめてわかることも多いものです。

たとえば、あんなに確執があった父親に対しても、
ふと想い起こせば、悔いる気持ちに苛まれてしまう。ものです。

母の想い出。まだ生きてますよ。
頭少しボケていますが、いやけっこう。元気です。
もうすぐ満の80歳ですが、自転車に乗って傘をさせいて疾走します。
そして転んで胸を打って大変だった。
頼むからもう自転車には乗らないでくれと懇願しても、聞こえないふり。
前回の台風のさなかに、自転車でお寺に茶菓子を出し忘れたと届け、
途中、チェーンが外れてずぶ濡れで押して帰ってきました。

まったく云うことを聞いてくれません。

思い立ったら常に吉日。即決、即行動。後先なんてない。

そんな母親にも当然、若い頃がありました。

私が4、5才の頃ですから35歳ぐらいでしょうか。
よく風邪をひいては熱を出し扁桃腺をはらす子で、台湾バナナとか
買ってきてくれるのですが、喉が痛いとダダをこねる。

そうすると、リンゴを大根下ろしで擦って、布巾で搾って
リンゴジュースを作ってくれました。

ミカンの皮をむいて、布巾にいれて搾ってミカンジュースを作ってくれた。

いまみたいに果汁100%ジュースなんてない時代です。
貧乏とかではなく、そういう時代だったのです。

とくに、美味しいものでもなかった。
布巾の匂いが気になったし、
着色料の入っていないジュースの色は子供心をそそらない。

ひとくちくちにして、もういい。といったかもしれません。

あの頃の母親は35歳かあ。若いよねえ。

母の白い割烹着が好きでした。とてもいい匂いがした。

それなのにねえ、思春期になるとセンスがないとか鬱っとおしいとか、
そして、いまは年とってボケたとか。

若い頃は、自分が年をとる、老いることをなかなか想像できないものです。
これは誰しも同じでしょう。

肉親の老いをみるのはつらいことですが、
「親思うこころにまさる親心」と吉田松陰は詠ったのですが、
まさに、その通りでした。UU