あかんたれブルース

継続はチカラかな

同情か共感か




以前知り合った看護士のブロガーさんが
「高みからの発言と批判される」とこぼされていました。

医療サイドにある立場の者と、治療を受ける立場には
隔たりがあって、高低差が生まれるものでしょうかね。

高み、ねえ。

同情はその対象者に対して「高み」からの感情である。ようなことを
よく心理学の本には書いてあります。

そんなことはない。安岡正篤が生きていたら、そう言ったかも。
「情けの暴落。」 (過去記事から)
http://blogs.yahoo.co.jp/djkxq447/25148216.html

言葉は時代によって変容します。それはそれとして
言葉本来の意味が変わっていくのもどうかなと。

同情ではいけないそうです。正しくは「共感」だそうです。

多分、これは医者の心得からきているのではないかと想像します。

しかし、共感だと他人事で終わってしまいそうで、心許ない。
隔たりを感じてしまう。知的ではありますが・・・

同情にはどこかアクションが付随する。まさに動詞のような。
涙とか感情の高まりを感じてしまう。
そのぶん、知的ではありませんけどね。

いいじゃん、別に知的でなくても。そこまで客観的に冷静に生きたくないね。

他人に対して、
これほどまでに無関心になってしまった
この期に及んで、
まだ体裁を気にするのか。

「頑張って」という言葉さえも禁句にする時代。

問題の本質は言葉じゃない。その気遣いと想像力。

言葉は魂を込めてはじめて活きるものです。

小手先のテクニックやマニュアルに頼らないで、
自分らしい誠実な言葉を発せられる人でありたいものですね。

時代の常識なんてものを恐れてはいけない。

草場のかげで安岡正篤のうめき声が聞こえる。

もっと、酒を・・・