哀しみのベラドンナ
そういうタイトルの手塚アニメがあったのだ。
当時の批評は「とってもエッチ」だった。
小学校の時の話、『千夜一夜物語』の後作品。
私は観ていない。ただ妄想をかきたてられただけ。
この間、病み上がりの後、ラガマフィンさんのところを訪ねて
斎藤美奈子の「紅一点論」の話題。
宮崎アニメの
『ナウシカ』トルメキアの皇女・クシャナと
http://jp.youtube.com/watch?v=7wSba9hwCaU
『もののけ姫』タタラ場の女首領・エボシのことを想い出した。
http://jp.youtube.com/watch?v=pkWWWKKA8jY
宮崎作品には妙な相似の継続があります。
まさかあれが母親へのオマージュだとは思えない。誰なんだろう?
この二人、とてもセクシーなのだ。言い方をかえればエッチ。
私が個人的に感じるだけ?・・・悶絶(汗)
セクシーを「危険度」という人もいるけれど、どうだろう?
色気を劇作家・長谷川伸は「一途」で表した。
脚本家・笠原和夫はシナリオ論法に「破れ」というものを重要視しました。
私は色気って、この「破れ」だと思います。
一途や健気は、すでに世間では尋常ではない「破れ」だと思うのだ。
クシャナが巨神兵に命じる
「焼き払え」「なぎ払え」
あってはならない約束破り、クシャナもエボシも片輪を背負っているのだ。
これが「破れ」なのか。青春の門の織江なのか。
完全ではなく、不完全な美への傾倒。
モンローのホクロもそんな感じ。欠点を愛おしく思う人間の性。
私だけじゃない!
完璧な者への恐れとか、そんな単純なものじゃない。
ここに愛の本質が隠れているな。きっと
A子はなぜかアドレア海で死ぬのだそうな。
A子よ、お前をマダム・ジーナと呼ぼう。
ジーナ。
おまえが死ぬ前の日に、
私を薫製にしてチャーシュメンで食っておくれ。
http://jp.youtube.com/watch?v=98RjgQMO4kM&feature=related
http://jp.youtube.com/watch?v=HJXT2OCY-Do&feature=related
「どうやったらあなたにかけられた魔法がとけるのかしらねぇ」
「俺は豚じゃない。奔らない馬はただの馬だ」
しかし、加藤登紀子には色気は感じないのに、不思議だなあ・・・
声フェチなのかしら?
色気、セクシーって不思議よねえ。
画像は紅じゃないけれど、空飛ぶブタ。
おだてれば、愛を与えてくれれば、私だって飛ぶよ。
ペガサス!
君を乗せて天空の彼方まで
こういうまとまりのないのを散文というのですか?
なんか酔って書くのには非常に心地よい。
ジーナ、こっちへおいで。あっ!いつのまにか砂肝ちゃん(汗)