あかんたれブルース

継続はチカラかな

幸せのキャッチセールスお断り!



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いままでオシレーターを使って
成功した人を聞いたことがないのは、
「迷いが深まる」だけではなく、根本的な理由があるのだ。
それは「なにかに頼って儲けよう」
とする心である。

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林輝太郎「相場人生訓」
http://www.amazon.co.jp/%E6%9E%97%E8%BC%9D%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%80%8C%E7%9B%B8%E5%A0%B4%E4%BA%BA%E7%94%9F%E8%A8%93%E3%80%8D-%E5%89%8D%E9%87%8E-%E6%99%B4%E7%94%B7/dp/4496044706/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1229214605&sr=1-1



これは最後の相場師といわれる林輝太郎の言葉です。

オシレーターというのはデータとかノウハウとか方式とか・・・
そんな感じで解釈していただいて結構。

わたしが「占い」に頼って何かを選択したりするのを嫌うのはこのためです。

細木数子は占いから、「この相手と一緒になっても幸せになんかなれないよ」
とかいいますよね。陰陽五行からの相性がベースでしょうが、でもね、

その幸せってなに?

夫婦仲がよくって、経済的にも子宝にも恵まれて、災難もない。ってことですかね。
それを彼女は「業」だとか「先祖供養」とか持ち出したりもする。

このことを死んだ安岡正篤が知ったら・・・
安岡はそんなことは、決して言っていません。

でね、好きになって惹かれてあって一緒になった者同士。
その誓いの「良いときも悪いときも助け合って」という言葉を思い出して!

良いときは良いけど、悪けりゃおさらば。それじゃあねえ。
それを予測して、しかも「占い」で、そんなのおかしいと思わない?

早い話が、細木だけじゃなくて、
高島もマーフィー牧師も「易経」をオシレーター(道具)に使って
そう言っている。

「それで上手くいくならいいじゃない」と思う人もいるかもしれません。

でもね、わたしは、はっきり言う。
それじゃ絶対に上手くいかない。
そういう考えじゃ、なにをやってもダメだと思うんだ。
「なにかに頼って」儲けよう(成功しよう、上手く生きよう)」じゃダメなんだ。

その意味で「易経」も「道具」なのかもしれませんが、
「易」を占いにするのではなく、
「哲学」として、把握して咀嚼することは
「頼る」というのとは根本的に違うと思うのです。この違い分かる?

自分のものに、なっているかどうか?
ここに「占い」との大きな「差」があると思うのです。

だから、安岡は易を占いにすることを懸念して戒めていた。
「精通すれば占わない」これが易なのです。

その意味で、個人的には嫌いなのですがスピリチュアルの江原さんが
輪廻という考えから「この人生は修行の場」として、
すべてのものを受け入れて、それを糧にして生きて往こう。という
考え自体は非常に「易経」的で納得できる。(八割は)

マーファー牧師の人生観は
良いトコ取りのむしの良い生き方にしか聞こえてこないのです。
これまで「塞翁が馬」とか「吉祥天」の話を持ち出しましたが、
幸運と不運は表裏一体のものです。
それを幸運だけ抽出する発想自体に胡散臭さを感じてしまう。

これが『ザ・シークレット』(引き寄せの法則)の胡散臭さであり、
マーファー牧師の無理なのだと思います。
これじゃあ秋葉原デパートのまえで実演販売してるオヤジとかわらない。

「信じる者は救われる」のかもしれないけれど、
そんなブレーキの壊れたクルマになんか乗りたくない。
だったら歩いていきます。自分の足で。

仏壇の墓石も分相応で結構!






陰陽四十八手(31)弁慶の七つ道具
「使用上の注意をよくお読みください」ピンポ〜ン