夜空がダメならじっと手を見てみる。
アインシュタインがその偉大なる脳に学習障害を持っていたことは有名です。
失語症だったと推察されている。
それはわたしたちの後頭部の上の方にあるつむじの部分で
短期間記憶を司るところでした。ここに障害があった。
不思議ですよね、人間の脳って。その障害を補おうとする働きがある。
先週だったかな?アフリカの紛争地域で爆弾の破片で左の脳を吹き飛ばされた子供が
その後、右の脳によって歩けるようになり、大学にまで進学していたことを紹介していました。
脳に障害をもっていても、それが逆に飛躍的な発達を促したりします。
絶対音感をもつ人とか、
映画『レインマン』のように驚異的な記憶力、計算能力をもったりする場合とか。
「 わたしはそんなにアタマがいいってわけじゃない。
長い時間をかけて問題に取り組むだけだ。 」 曰くアインシュタイン。
根気とか集中力ですね。これもやはり好奇心というものでしょう。
頭の良さとは好奇心=集中力だと思いますが、それにプラスして
想像力なのだと思う。以前、そんな記事もアップしましたよね。
センスといってもかまわない。飛躍させれば「愛」とも解釈してしまいます。
それはさておき、
そういった想像力の動機に、夜空の星々の瞬きとかある。不思議だなあって・・・
東京には空がないと智恵子はいいました。(高村光太郎の『智恵子抄』ね)
幼い頃、田舎で見上げた星空は凄かったよ。天の川のしっかり見えていた。
東京では夜空の星も少ない。3か5つぐらいじゃないか?
こういうところが、想像力の低下にもなるのかな?
そして、わたしたちは恵まれすぎている。
そんなことを考えなくても工夫しなくても生きていけるのだから。
古の賢人ったいは夜空を見上げて数字の不思議を考えました。
暦やサイクル論を宇宙から導きだした。
それは夜空だけじゃない。たとえば、わたしたち自身。
じっと手をみる。
指の数は5本。足の指も5本。
両手をあわせる10本。
ものの単位として10進法は確立するものこういったところから、もあるんでしょうね。
数字には不思議な意味があります。
それが数秘術として哲学的、神秘的科学になるにつけ、
オカルト的な予知的トリックの仲間にされていくのでした。
「易」がそうです。
大道易として、哲学や原理、法則から占いに変容していきます。
陰陽からの二進法、五性の認識、十進法、十二進法、そこから60のサイクル。
またゾロ目の意図とか数の意味するものの興味はつきません。
そういうものが今現在の具体的な何かに関係しない。からといって
非科学的、非現実的と考えるはちょっと違うのではないかと思います。どう?
今日はピカソの言葉でシメますね(汗)
「 悲しみのこの時代に、刺激的な熱中より重要なことは何もない 」
わたしたちは結局、刺激をもとめているのだな。
それを知的好奇心とも言う。のかもね(汗)
いや、そんな甘っちょろいものじゃないかもしれない・・・
リアル・スピリチュアル(6)