あかんたれブルース

継続はチカラかな

モンスターとは別に




今朝、ブログを開いたらゲストブックが点灯していました。
おっ、クレーマー様が乗り込んできたかな?

違った。

死について話してくれといいます。

「当然、自然ではなく」という断りがあるので、自殺についてですね。

彼も重度の「うつ」に苦しめられています。
昨年の夏頃はよい薬と出合えて調子よかったのですが、(むしろ良過ぎて心配していましたが)
薬では解決できないのです。

彼の症状には自殺願望がある。昨年は全部で5回のSOSがありました。
「放っておけよ、どうせ死にはしないから」という友人もいます。

自殺願望の理由のひとつに「死ぬのが怖い」というのがあったので、
一度、それとなく妃嬢に聞いてみたことがあります。
「たとえば、小さい頃、予防注射を打つ前の精神的な恐怖みたいなものかな」
と妃嬢は答えてくれた。そして、こう付け加えました。
「問題なのは誤って本当に死んでしまう場合。これが結構多いみたいよね」

ブログではこういった付き合いも多い。
同じ経験をもつものなら、「わたしもそうだった」という共感で
慰めたり励ましたりもできるのでしょうが、それもできない。

私だって死にたいとか。ああこのまま死ねたら幸せだろうなあって
思うことは多いです。みんなそうじゃないかな?

でも、彼の場合はとてもつらい。苦しんでいる。
多分、突発的に書き込んだので「そんなことを書いたのか記憶にない」となるかもしれませんが、
それでもわたしは死について、知ってる限り思う限りのことを書きます。


臨死体験はないのですが、知人の話によると
そこは光の世界だそうです。まったくの光。影のない世界。
まあそんなことはいいか。

日本人の死についての考えは欧米人とは異なります。
キリスト教は自殺を禁じている。

日本には切腹というものがあり。それは恥のためや責任をとるためとか
殉死という追い腹(家督は子息に受け継がれるという保証があって)などがあります。

また情死を「心中」という。これは東洋思想でいう「中」(中道・中庸)の捉え方だと聞きました。
この世で添え遂げない男女が心の中に向かう旅路。
日本人はそういう同情を寄せたのですね。
ただし、未遂におわれば男は遠島島流し、女は遊女に売られてしまう。
それを考えると生きることは過酷です。
「なんで死なせてくれなかったの」って台詞、よく聞くでしょう。あれだよね。

本当にうまく死ねれば一発で解決します。

でも、生きていれば永遠に続く。
追い込まれたら、いっそのことと思うのも人間の摂理かもね。
それもあってキリスト教は強く戒めたのかもしれません。
それじゃ社会が成り立たない。
しかし、それだとわたしたちは納税や保険負担や国家運営のために生きているの?
それじゃあねえ。

死んだ丹波哲郎は迷作『大霊界』で自殺する無限地獄に陥ると言っていた。
結局、それは脅しですよね。脅迫しかそれを止め得られないのか。
(関係ない人は他人事ってことでしょうけど)
江原さんも似たようなことを宣っていた。
さらに、自殺は殺人よりも罪深いとも言い放つ。だから矛盾をつかれるんだ。

なんか長くなるので頁を改めますね。





陰陽四十八手(44−4)傘になれよと