ホントの敵は大人です。
今朝、内緒さんから「是々非々」というコメントをいただきました。
何事にも、自分の意志を表示し是々非々で取り組んでいきたい。
(良いことはよいこと、悪いことはわるいことと、公正無私に判断すること。
道理によって正しく判断する態度をいう。)
荀子です。
それじゃあわたしももう一本。
論語から「忠恕」を持ち出しましょうかね。
自分の在りたいように忠実に生きる。
中国思想はこういう風に生き方を教えてくれます。
けれども、それ以前にこういった事を「甘い」だとか「現実は社会は厳しい」だとか
「上がってナンボ」だとか「数字が勝負」だとか
「正直者は馬鹿を見る」だとかなどなど
こういった論調が体勢をしめていました。
発信者はすべて大人だった。
結局、その結果がこれです。いまの日本社会の閉塞と混乱。
また、「是々非々」も「忠恕」も
それをモットーとする人間の資質によって大きく変容してしまう。
クレーマーの問題の本質はそこにもあります。
言論の自由、基本的人権の尊重などなどの勝手な拡大解釈。
陰陽学「易経」の連作記事なので、最後に「易」で閉めますね。
上卦の11番目と12番目に「地天泰」と「天地否」があります。
これは人間の姿勢をあらわしたものです。
「泰」外見はおバカなようでも内実はしっかりしている。
「否」外見は立派だが中身が伴わず無理して背伸びしている。
という生き方をあらわしている。
どっちがいいかというと断然、前者の「泰」なんですね。
それでもわたしたちは理論武装しようと奔走します。
いや、確かに知識を吸収することは良いことなのですが、
その使用目的が相手の主張への論破、勝ち負けになっている。
そして、相手の言うことに対して聞いたら最後、負けというルールを課している。
だから、一切聞き入れない。
そして自分の今現在知ってる限りの知識で対峙しようとする。
こういうのを「天地否」といって、易経では強く戒めています。
「地天泰」で往こう!
陰陽四十八手(44−最終回)泰平楽通信
荀子、易経、孔子
たぶん、届かない(涙)