あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛のマジックミラー

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若い頃、苛立たしい映画がありました。

パリ、テキサス

ヴィム・ヴェンダースロードムービーは公開当時から評判だったと思う。
それで観たのか、好きだった女優ナスターシャ・キンスキーの出演だったせいか、
記憶は定かではありませんが、観た。

これがもとで何人かの友人と論争になった。
論争には勝利したけれど、胸のつかえはとれなかった。
「ケッ、しみったれた男の話じゃねえか、
 嫌だねあんなの。未練たらしいったらあちゃしねえ」

そして25年。

しみったれた未練たらしい男になってしまって、考える。

あの「のぞき部屋」での男と女の再会の場面。

暗い場所から明るい場所しか見えない一方通行の思い。
女に自分を確認させるために明かりを消させる。
マジックミラーは一瞬にして女の姿を消し、
自分の顔が映し出されてしまう。


愛の本質とは突き詰めれば自己愛です。

これまで何度もそう繰り返しきました。

皮肉にも、それを立証してくれる映画が『パリ、テキサス』だったなんて・・・


・・・いや違う。

おおかたの批評はそこが落とし所になっているけれど、
それじゃあ片手落ちなんだ。

見失ったのはマジックミラーというフィルターのせいだ。
光を反射してしまう。そして、一方通行のフィルター。

恋は盲目っていうじゃないか。これは愛の本質じゃない。

これは迂闊な男の物語だ。しみったれた未練たらしい男の話。

問題は愛の本質。

愛には無償という条件がついている。
無償の愛と自己愛。
このふたつが揃わなければ成立しない。マジックミラーは越えられない。

そしてこの先『ベルリン天使の詩』に向かうといいます。



愛を訪ねて三千里(2)