愛の身元調査
手塚治虫の『火の鳥』の猿田彦を思い出してください。
もしくは、猿田博士、我王、鞍馬の天狗などなどあの作品必ず登場する作者の分身。
鼻がデカイ、そんなコンプレックスを持っていた男の話です。
シラノは青年剣士隊の隊長でした。
その歯に衣きせぬ言動から多くの敵と決闘を余儀なくされます。
シラノは強い。
けれども自分の鼻に大きなコンプレックスをもっていた。
そんなシラノがロクサーヌという娘に恋をしてしまう。
死ぬほど好きになってしまいます。
けれども、ロクサーヌが自分の部下のクリスチャンを愛していることを
知ってしまうシラノ。そしてクリスチャンもロクサーヌのことを想っている。
シラノは一転、ふたりの愛のキューピットに変身してしうのでした。
口べたで不器用なクリスチャンに色々レクチャーするシラノ。
ついには、口説き文句もラブレターの代筆も
そして、宵闇に隠れたバルコニーにたたずむロクサーヌへの愛の告白さえも
すべてシラノが代役を務めるのでした。
その愛の言葉によって、ロクサーヌとクリスチャン結ばれます。
それを確認して、そのバルコニーの下の暗闇から姿を消す。
戦争がはじまり、
クリスチャンは戦死してしまいます。ロクサーヌは修道院へ
それから15年の月日が流れ、毎週土曜日には必ず彼女のもとを訪ねるシラノ。
そんなある日、ロクサーヌは戦場から届いた在りし日のクリスチャンの手紙を見せる。
それを静かにシラノは読むのです。
すでに陽は傾き、部屋のなかを宵闇が包んでいくなかで・・・
そのとき、彼女はすべてを悟るのだった。
「この14年の間だ、あなたはこの役をなさっていたのですね。
それも滑稽になりかねない昔なじみの友達の役を・・・」
なぜなのかと問い詰めるロクサーヌに、シラノは根負けして告白します。
「覚えておられますか。クリスチャンがバルコニーの下であなたに告白した夕べのことを。
わたしの人生のすべてはあのときにあたのです。
バルコニーの暗闇に、このわたしがいるあいだ、ほかの男が上にのぼり、
栄光のくちづけを摘みとった。それでよかったのだ・・・」
死んではいやです。ロクサーヌはそういってシラノを抱きしめる。
わたしがあなたの不幸の種だったのね。と泣きじゃくる。
「いえ、とんでもない。
わたしは女性のやさしさに無縁の男だった。
母はわたしを可愛いとは思ってくれませんでした。姉も妹もいなかった。
わたしは誰からも愛されない。
ロクサーヌ、君は少なくともわたしの女友達になってくれました。
あなたのおかげで、わたしの人生に衣ずれの音が通り過ぎたのです」
は〜あっ(溜め息)
これがフランス戯曲の傑作「シラノ・ド・ベルジュラック」です。
何度も映画化もされた。日本では『白野弁十郎』なんて時代劇とかで
舞台や映画にもなっている。
無償の愛の傑作。
けれども、これを単に「無償の愛」という観点ではなく、
シラノの「自己愛」と指摘する人もいる。
結局、この後の台詞に「あなたを愛している」という言葉はなかったのだ。
もし、それを伝えれば、ロクサーヌは決して拒絶はしなかったと誰もが確信する。
彼女はよろこんでシラノを受け入れただろうに・・・
しかし、シラノはそれをしない。
そのストイックな生き様こそが自己愛の証だと精神分析医は得意満面なのだ。
でれもこれもニアピン賞は確実でも決定的にボールを沈めてはいない。
確かにロクサーヌもクリスチャンも鈍感だし、シラノも唐変木ではあるけれど、
精神分析医やら学者はもっと野暮で阿呆だと思います。
また、シラノの鼻やコンプレックスにその原因があったのではないかと
思われる人もいるかもしれません。でもね、
「恋する者はつねに脅えている」
江戸中期に書かれた『葉隠』。
この武士道のテキストに永遠の愛を記した言葉があります。
それは「忍ぶ恋」だという。
ヒントにはなるけどこれもニアピン賞かな。
愛を確認しようと抱きしめれば、その強さから壊してしまう。
そして恋する者はつねに脅えている。
さあ、無償の愛と自己愛。
愛の本質を求めて、ベルリンに飛ぶぞ。びゅ〜ん〜
愛を訪ねて三千里(3)