あかんたれブルース

継続はチカラかな

「男は性格よ」とは言わない、響子だった。

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 はい、犯人は、じゃなかった。正解は「伊地知幸介」
 旅順攻略を担当した第三軍の参謀長で、司令官の乃木希典と共に、
 司馬遼太郎坂の上の雲』で最もこき下ろされた人物で、超エリートなんだけどユニークですね。
 今日、親戚の叔母さんが持ってきたお見合い相手が彼だったらどうする?エリートですよ。
 ただ、この作品がなかなか映像化されない理由は「乃木への不当な評価」と共に
 「伊地知家」の家族からの抗議があるそうです。NHK今度は大丈夫でしょうか?

 因みに、『坂の上の雲』で描かれた伊地知幸介のキャラクターは、というと、
 「頑迷」「頑固」「高圧的」「詭弁家」などなど、一言で云うとイヤな奴ということです。
 で、彼の肖像写真とであったとすれば、ハハーン此奴だな。と、うなずく訳です。
 しかし、それらの要因から「司馬と『坂』」は現在の歴史マニアにとって論争というか批判の的。
 現在歴史2ちゃんねる司馬遼太郎の「し」とか『坂の上の雲』の「さ」と書き込んだら
 大変なことになっています。名作『坂の上の雲』は捏造小説であり、司馬は権威の象徴とされ
 右からも左からも叩かれるサンドバックと化しているのです。

 伊地知幸介の話でした。さて、彼はそんな頑迷で嫌な性格だったのでしょうか?
 『坂』の描写の中で旅順攻略を東北正面(伊地知案)か西方(大本営案)の論争が
 総司令部参謀井口省吾との間で戦われます。もともと井口はオブザーバーで参加していたので
 当初は遠慮して傍観者だったのですが、伊地知のあまりな態度に間に入ったところ激論に
 発展してしまい、遂には伊地知を斬ってこの場で切腹しようと思ったそうです。

 これがまた「講釈師(司馬さん)見てきたような嘘を言う」とされ、
 また、東北正面は正当な戦術であり、旅順攻略は消耗戦であり、
 乃木をサポートした伊地知は非常に優秀で立派な人物だった。
 という意見となっております。

 まあ、司馬さんは第二軍の落合参謀長に対して事実とは異なった描き方をしてミソを付けてますから
 もしかすると伊地知もホントは顔に似合わず素敵なチョイ悪オヤジだったかも、なんて無いですね。
 結局、日本人のくせにイタリアのチョイ悪オヤジになるにはマスクとマネーが必要です。
 彼は少将ですから高給取りでしたが、妻は大山巌の姪でしたのでチョイ悪は無理かもしれません。
 
 さて、司馬さん以外のエピソードで伊地知の性格を垣間見る手がかりはなかたかと調べますと。
 ここに郷誠之助なる明治の実業家がいます。
 企業建て直しに手腕を発揮して渋沢栄一に認められ
 東京株式取引所の「大理事」と謳われた人物です。
 総会屋に対しても毅然と対決した気骨の人!

 郷が明治17年に留学生として欧州に向かう船上でひときわ口うるさい軍人がおりました。
 その御仁は親切心からなのでしょうが、とにかくガミガミ!留学生たちは鬱病に陥る一歩手前。
 これが若き日の伊地知幸介。やかましい人だったんですね。

 で、郷は「あの野郎、インド洋に沈めてやる」と立ち上がります。結局未遂に終わりましたが
 伊地知幸介は自分が命拾いしたことは知りません。結局、人徳がなかったともいえるでしょう。
 本人の気持ちが相手にうまく伝わらない。不幸な人だったのかもしれませんね。
 少なくとも伊地知幸介は二度殺されそうになったわけです。謙虚に語れば「不徳の致す処」
 さて、その不幸は彼の容貌にあったのか、性格そのものにあったのか、
 はたまたどっちもどっちだったか、想像と妄想はつきません。