あかんたれブルース

継続はチカラかな

愛おしい女

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昨夜、紗智子がまた噛んでいきやがった。

朝起きてすこし小指が痛たい(笑)。伊東ゆかりね、わかる?

「きれいじゃなくて、ゴメンね。」

ばか、俺はいつも眩しく感じているよ。
紗智子、お前は美しい。

浮かれ念仏や小伊勢参りのようにセックスを賛美できる奴はいい。
それを勲章みたいに藍濁飲んでますと自慢したいなら勝手にどうぞだ。
俺はごめんだね。

俺は紗智子が好きなんだ。紗智子のような女が好き。愛おしい。

   むかし、早知子がいいました。
   「愛がなくてもセックスはできます」
   あのとき、言い返せなかった。

   違うんだよ、早知子。
   愛がないほうがセックスは楽なんだ。
   むしろ逆なんだ。

   でもね、早知子がそう考えようとする気持ちはよくわかる。
   それは一神教の連中が恐れた虚無感のジレンマと同じなんだ。

俺たちは結局、愛を求めている。
それが故に、性急に奔ってしまうんだ。
それが故に、その存在の有無にこだわり、懐疑する。
それが故に、セックスでそれを確認しようとする。

存在しても、そう簡単には手に入らない。
相手によるし、当然、自分自身の問題もある。
愛は無償の愛を感じられる相手じゃなければ成立しないんだ。
相性といってしまえばなにか軽く聞こえてしまうけれど、
自分のことを放っておけるような存在。
そういったエロティズムを感じられる存在が必要なんだ。

隣人愛とか博愛とは会社やステージが違う。混同しているんだ。混乱している。

そして自己愛なんだ。

自己愛と無償の愛はなんら矛盾しない。
この世のすべては表裏一体なんだ。
光と影で構成されている。存在する。


   往年の名女優キャサリン・ヘップバーン
   スペンサー・トレイシーという俳優を愛しました。
   映画史上最高の名優同士のカップルは今でいうと不倫関係でもあった。
   男遍歴で浮き名を流してきたキャサリンが、始めての共演で
   スペンサーに言った言葉。
   「私より背が低いみたいね。」
   男はこう切り返して女を恋におとします。
   「心配ない。僕の身長に合わせて君を切ってしまうから。」

   キャサリンは「調和の取れた相手」と出逢ったのです。
   ふたりは9作の作品で共演して絶妙のコンビネーションで喝采を浴びる。
   しかし、二人は結婚できなかった。
   スペンサーがカトリックであったことと、
   障害のある息子を妻・ルイーズに託してあった負い目からだといわれます。
   そして、スペンサーはアルコール中毒で倒れ、
   キャサリンは妻・ルイーズと共に交代で献身的な看病にあたりました。
   男の葬儀にキャサリンは出席しなかった。
   「ルイーズに申し訳ない」という理由から。


愛について、キャサリンの言葉に耳を傾けよう。


   愛とは、その人から何かを手に入れようとするのではなく、
   その人に自分が何かをしてあげたいと思うこと。
   その人のために、できる限りのことをしたいと考え、行動すること。
   もしかしたら、お返しなんてないのかもしれない。
   でも、愛を伝えたい、その人のために何かを与えたいという気持ちを押さえることができない。

   また、彼の好きなものを好きになる。彼のしたいことを受け入れる。
   彼が楽しそうだと、自分も嬉しい。
   彼を愛することで、自分の世界が広がるような気がする。
   心から愛情を注いだことに対する見返りを求めたりはしない。
   自分を満足させるために愛されている保証が欲しいだなんて要求しない。




もののあわれ 女の番外地(最終回)
ビジュアルはたぶん山本タカト違うかな(汗)