あかんたれブルース

継続はチカラかな

わたしがやめた理由

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雨の日曜日、すこしぼやいてみる。

前々回、一昨日の記事の最後に
アラン・スミシーって名前を出したけれど、わかる人?

本日は責任という話です。

責任感。というとなんか堅苦しく感じるけれどこれは大切なのさ。

そして無責任。結局これに落ち着いてしまう。のが常です。

「知りませんよ」「知らないよ」なんて捨て台詞が流行です。

  まあ、わたしの尊敬する杉山茂丸も、最後の言葉は
  「わしはもう知らん」だったんですけどね(涙)。
  これは軍部と役人の馬鹿さかげんに匙を投げたことから。
  匙を投げたくもなります。
  そうして日本は太平洋戦争に突入していくのだった。

まあ、それはさておき。

私が(グラフィック)デザイン学校時代に先生から
口を酸っぱくして言われたこと。

「芸術家じゃないんだぞ」

商業デザインですからね。クライアントの意向とかに合わせないといけない。
それは解っているつもりでした。

ところがさ、グラフィックの場合
広告の世界だとクライアントの中間に代理店がある。
大きいところでは電通博報堂とか。
色々な注文があります。時にはクライアントの意向に的が外れる場合もある。
それは個人差もあるから仕方ないとしても。

出版だと出版社と編集者となるのでスッキリする。
ところがさ、
独立系の出版社とは別に新聞社系の出版社も多いのです。
朝・毎・読と日経とか色々です。上場はしていませんが大きな企業。
各社は子会社として出版社を参加にしています。

そこでさ、
みんながみんなラインに乗れるわけじゃないし、
こういった組織は天下り出向の場となります。
また、本社の影響力を確保させるための、若しくは経験を積むための場にもなる。

二年間とかで編集長とかデスクとか副編集長のポストで
期間を無事終えて本社に戻ることが大事なのです。
なかには島流し左遷人事天下りとかもありますよ。人生色々です。

でもさ、そこで困るのは
ある意味、雑誌とか書籍とかズブの素人でもある。
そういう人たちが責任者とか中核になるわけだ。
サポートするプロパー社員がいるので、その人の器次第で無難にはいけますが
なかにはパフォーマンスやスタンドプレイに奔る方々もある。

そういう時にさ、
困ったことが起きるのです。

例えば、わたしが大工さんだっとします。
20年以上のキャリアがあるからいぶし銀の職人でんがな(汗)。
玄関を開けたら廊下があって、横に応接間、向かいの左が居間とします。
でもさ、正面に便所を置けという注文をしてくる。

なぜ?

うんこを我慢して帰って来たとき便利だから。

・ ・・

別にさ、イージー固定観念に囚われているわけじゃないけれど
玄関あけてすぐ便所じゃ不味いと思わない?
臭いだって気になるしさ・・・

言っても聞かないんだよね(涙)。

で、一悶着揉めるわけだ。

仕事が切られるリスクを背負って・・・

まっ、いいか。となる。

良くも悪くも。

経営者でもあるわけだし、現実がそこにあるわけです。

でも、なんかつまらなくなっちゃて・・・

クレジットに自分の名前を入れたくなくなってしまった。

責任がもてない。

アラン・スミシー

手元にある本のスタッフリストで
そんな名前を見かけたら
わたしか、同じ思いのクリエーターさんだと思ってください。

アラン・スミシー
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%BC

そういえば、『心の旅路』で自分を見失った主人公の名がたしか
スミシーだったな・・・

スミス都に行く、そして都会の絵の具に染まって、自分を見失ったのさ。