あかんたれブルース

継続はチカラかな

みんなが「幸せ」になれるヒント。【麗子の法則】

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 さてさて、人の人生とは夢幻の如く。現世の幸、不幸など瞬きのようなものかもしれません。
 ただし、これはバーチャルではなく、当人にとっては現実以外の何者でも無し。
 さらに、ただし、その現実とは個人的なものであり、そこかしこに巧妙なトリックが仕掛けられて
 いるものでも御座います。まず、上の図をご覧あれ。
 右左どちらが長く見えますか?
 ホントはどちらも同じ長さは下の図版と目盛りを確認すれば一目瞭然。なのですが、
 これが錯覚というものであり、世の中世間の尺度価値観と同じものなのであります。

 「目黒の秋刀魚」というスタンダードな落語がありますな。あれですよ。
 いっつも鯛ばっかり食べてる殿様が秋刀魚をたべたらどうなるか?
 つい最近も日本海近海でイワシやサバが捕れなくなって、庶民の味の「光り物」君の価格が高騰!
 一躍高級魚に変身してしまいます。

 さほど見栄えのしなかった金八先生が女子校に転勤!するとアラ不思議?なぜかモテモテ。
 学校一のマドンナ白島麗子との不倫の結果、懲戒免職、離婚の憂き目となりますが、
 人生薔薇色夢心地、と思いきや刹那!ある日彼女は失踪したとか。夢から覚めたのは
 麗子のほうが先でした。是、人生万事塞翁が馬に非ず、人生の錯覚が織りなす、徒花成り。

 されど、その錯覚の中にこそ個人の「幸せ」「不幸せ」が潜んでいるのです。
 町で声かける宗教、セールスの類はすべてそこを狙い目にしていますから
 ゆめゆめタブラカサレテはいけません。

 ほっかほっか弁当の「幕の内」を食べてもなんら感動はありませんが、
 「のり弁」を食べるときの白身魚のフライと竹輪の磯辺揚げが愛おしいのはなぜ?
 ゴボウのきんぴらも紅ショウガまで海苔したのオカカもみんな友達。これって何?

 寄せ鍋、ちゃんこ鍋、すき焼き、最後に残る豆腐の鹿子。湯豆腐だったらなぜ美味い?
 これが人生だ!これが幸せと不幸せの正体なのだ。(バカボンのパパ風に)
 すべては錯覚。「のり弁」は「のり弁」、「豆腐」は「豆腐」。
 しかし、この錯覚の中にこそ、幸せの原点正体、動機と判決が隠されているのです。

 てっとり早く「幸せ」に成りたいと思うならば、池波正太郎の如く、徹底して一ヶ月、
 粗食に徹してみませんか。だらだらファミレスやマックで堕食に奔らない。
 夜中に小腹が空いたときに食べた食パンの素の甘み旨味を思い出すのよ。
 会社へは自分で握ったおにぎり持参で結構。飲みもは竹筒の水筒に水道水。
 野菜は塩で、おかずは味噌、フライは醤油、コーヒーはブラック、お茶は深むし茶。
 それで月にいっぺん贅沢しなさい。なんか細木数子みたいですね。

 ちょっと脱線しましたが、幸福とは個人的なものであり、それは価値観の底辺から頂点の
 ギャップの中に在る。といいたかったのでした。(はやく言えよ)
 当然、その逆として不幸もそこに在りますし、閉塞感もそこに在るようです。
 (説得力ありましたか?のり弁か豆腐の写真が欲しかったですかね。)