あかんたれブルース

継続はチカラかな

日本人初の野球殿堂入りは?

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坂の上の雲』第一巻第七章「ほとほぎす」で、正岡子規結核
という当時の死病を発症します。

それでも子規は淡々と己の運命を受け入れている。

話題は「野球」にふれている。

この「野球」という言葉を生んだのが正岡子規だといいます。

東京神田地下鉄神保町のホームを上がって一橋。
岩波ホールから救世軍集英社小学館を向かいに沿って南に歩けば
学士会館がある。

ここは旧帝国大学系大学(北海道・東北・東京・名古屋・京都・大阪・九州の各大学)と
京城帝国大学及び台北帝国大学の卒業者たち同窓会組織の会館。
(私は部外者ですがすいちゃんはれっきとした出身者だ)

で、同時にこの場所は東大発祥の地であり、
また、野球発祥の地でもあります。なぜかというと
1871年明治4年)に来日した米国人ホーレス・ウィルソン氏が
第一番中学(現在の東京大学)で英語を教えつつ生徒に野球も教えて。
その場所がこの学士会館であり、その発祥地がここなのですね。

ウィルソン氏は2003年に野球殿堂入りしています。
野球殿堂って長嶋さんや王さんとかプロ野球で活躍した名選手が名を連ねている
アレです。
東京ドームにある野球博物館にレリーフが飾られている。
で、以前わたしは学士会館一橋大学出身と偽って(一橋は学士じゃない!)
この中に設置されていた歴代殿堂のレリーフを目撃したのですが、
その第一号に正岡子規があった。
子規は2002年に新世紀表彰という形で殿堂入りしています。

それほどに、子規と野球の縁はふかいのだった・・・(涙)。

でね、この学士会の発足(1886年明治19年)7月)に、
主だったメンバーとして嘉納治五郎明治14年文卒)がある。
山本権兵衛が「海軍の父」で、秋山好古が「日本騎兵の父」、
馬太郎が「Kちゃんの父」ならば、
嘉納治五郎は「柔道の父」です。「日本の体育の父」とも呼ばれる。

子規よりも7歳年上で、明治10年に東大に入学している。
子規の東大入学は明治23年です。
わたしは嘉納治五郎の伝記で柔道仲間とビシバシキャッチボールに励む
嘉納治五郎投手の剛腕と剛球の音を聞いた。
なんたって、「日本の体育の父」ですからね。

正岡子規野球殿堂入りにケチをつけるつもりはありません。

ただ、日本の野球は明治5年が発祥であり、
その後、嘉納治五郎から子規に受け継がれて全国に広まった。
ということを伝えたかったのです。
つまり、東大から広まったのだ。

因みに、当時の六大学で東大は圧倒的強かった!
それが早稲田、慶応が比肩するようになるのは明治37年
時はまさに日露戦争の時。
その時、早稲田大学野球部は・・・
この続きは『坂の上の雲』の後半、旅順攻略奉天会戦前後でお送りいたします。
テーマは
野球、スポーツと戦争と平和。かな(汗)

また、嘉納治五郎と軍神広瀬武夫、そして黒龍会内田良平の交流なども
お伝えしたいと思うのでした。ではまた次回。




坂の上の雲』文庫第一巻第七章「ほととぎす」