あかんたれブルース

継続はチカラかな

日本人初の競馬の優勝ジョッキー




この章のはじめでは秋山好古がフランス留学して腸チフスで苦しんでおります。
それを「恥」だとして好古は医者に診せずに自力で治した。
治りました(笑)。

その後遺症としてハゲになったどうです(涙)。

さて、この章は「馬」というタイトルじゃった。
騎兵隊の馬は大きなサラブレッドをイメージしますが、
当時の日本にはそんな馬はいない。アラブ産もいない。
国産馬しか存在しない。
で、国産馬というのはどういうのかというと、ポニーを少し大きくした感じ。

私たちが大河ドラマなどでみる騎馬武者の馬はJRAでお払い箱になった
競走馬(サラブレッド)です。
あんなに格好良くなかったのですね。
義経たちの疾走も武田の騎馬隊もそして明治の騎兵隊も・・・

欧米の文化技術軍事すべてを輸入してしまおうと考えた明治政府は
「馬」も輸入しなければならなかった、わけです。
日本の騎兵の歴史はそこからはじまるわけです。
同時にこれが競馬の歴史とイコールになります。

↓)ウィキペディアから日本の競馬の歴史をコピぺしてみました。

1862年、横浜・外国人居留地における競馬施行体として横浜レース倶楽部が発足した。
●1866年、外国人居留地内に居留外国人のためのレジャー施設として根岸競馬場が完成。
●1875年、特別会員として初の日本人馬主となった西郷従道が所有馬のミカン号に自ら騎乗し、
日本人馬主による初勝利をあげた。
●1876年 団体内部の紛争が原因となり横浜レース・アソシエーションが分離独立。
1878年6月20日 横浜レース倶楽部・横浜レース・アソシエーションの2団体は合併し、
横浜ジョッキー倶楽部が発足した。
1880年 横浜ジョッキー倶楽部が日本レース・クラブと改称。同時に、同クラブへの日本人の入会が可能となった。
この措置により入会した日本人には伊藤博文松方正義大隈重信榎本武揚岩崎弥之助尾崎行雄などがいる。
●同年6月9日、明治天皇下賜の花瓶を賞品とする競走(The Mikado's Vase)が行われた。
同レースは天皇下賜の賞品が授与された日本初の競走であり、その意味において現在の天皇賞のルーツである。
1888年 日本レース・クラブが根岸競馬場において1枚1ドルの馬券を発売(日本における初の馬券発売)。
●1895年 オーストラリアから競走馬を輸入を開始。
●1896年 ニイカップステークス(後のエンペラーズカップの元となったレース)を開催。
●1905年 明治天皇から御賞典が下賜され、エンペラーズカップ(後の帝室御賞典、現在の天皇賞)が始まった。
1906年 社団法人日本レース・倶楽部として政府の認可を受ける。
●1937年10月 解散(同年5月の開催が最期の主催競馬)。


根岸競馬場はもうありません。目黒競馬場もない。
根岸記念とか目黒記念というレース名は残っていますけどね。
ここで、注目は日本人初の優勝ジョッキーは西郷従道ってところです(笑)。
それにしても「ミカン」号って・・・可愛い。
因みに薩摩弁だと「ミガン」になります。



坂の上の雲』文庫第一巻第六章「馬」