あかんたれブルース

継続はチカラかな

明治の傷モノ物件



しゃて、文庫本も第二巻になって「日清戦争」です。
ここで司馬さんは当時の日本やその周辺の環境を説明するのに
小村寿太郎を取り上げておられた。
彼の逸話に、余談だがを付け加えるとすれば、
ヒステリー浪費悪妻のお嬢様で美貌の妻・まち子さんの紹介と相場は決まっている。
が、これ以前やったな(汗)。

他のネタでやろっと。


参謀次長の川上操六。
この人一人で日露戦争を画策したといっても過言ではありません。
彼は日清戦争から3年後の明治31年参謀総長に就任した翌年に急逝します。
この辺りは彼の後任である児玉源太郎日露戦争後に参謀総長に就任して、
急逝したのと酷似していますね。
川上操六は薩摩の人ですが、藩閥にとらわれない人材の採用と育成をした人です。
諜報(情報)というものの重要視した人でした。
それは、
川上(薩摩)→児玉(長州)→福島安正(松本)に受け継がれる、はずでしたが、
そうはならなかった。

情報を軽視して、軍部は迷走していくのでした。

しゃて、本題(笑)
余談だが、川上操六が住んでいたのは麹町区上六番四十三番地。
ここはね、
あの番町皿屋敷で有名な青山主膳の邸宅だったんですよ〜(恐)。
もと天樹院の住んでいた御殿跡を拝領したもので、牛込御門内番町にありました。
番町の名はこの地名からとったものなんですようらめしや〜あ(汗)。

夜な夜なお菊が一枚二枚・・・九枚。一枚足りない一枚足りない。

なんて泣き言いったって、
この全身プロシャ主義の川上操六は怯まない。

ところが、川上操六が死にました。お菊の呪い?まさか(汗)。

でも、世間はそうは思わない。

今でいうところの傷モノ物件です。
この邸宅が売りに出ましたが、なかなか買い手がつきません。
価格はどんどん下がったそうです。

その底値で買ったのが博文館の大橋左平で、がす。
http://kotobank.jp/word/%E5%A4%A7%E6%A9%8B%E4%BD%90%E5%B9%B3



坂の上の雲』文庫第二巻 第九章「日清戦争