ゾンビのような海の男にぞっこん!
子規が従軍記者として大連に渡った頃には、清国が世界に誇った北洋艦隊は破れ、
名将丁汝昌は服毒自殺し、日清戦争は幕を閉じようとしていました。
この威海衛の戦いで効果を発揮したのが、新兵器の水雷艇です。
鈴木貫太郎はその水雷艇の艦長していた。
泉州出身で薩摩閥ではなかった貫太郎は山本権兵衛に可愛がられていました。
その貫太郎が海の物とも山の物ともつかない水雷屋になることに当初は反対でした。
海軍のエリートコースはやはり大艦に乗らないと乗れない。
余談だが、
この鈴木貫太郎は何度も死にかけた男である。
それを「運が良い」と本人はいうのだが、はたしてどんなものかな、と(汗)
三歳のときに暴走する馬に蹴り殺されそうになったり、溺死しそうになったり。
海軍に入ってからも海に落ちたり、作業中に事故にあったり、
この日清戦争時には一酸化中毒にかかって死にかけている。
そして、極めつけが二・二六事件で左脚付根、左胸、左頭部に三発の銃弾を浴びる。
トドメを刺されるところをたか夫人に庇われて九死に一生をえるのだった。
そして、敗戦を余儀なくされる日本の宰相として、終戦工作の任を成し遂げる。
その終戦の朝、佐々木武雄陸軍大尉を中心とする国粋主義者達に襲撃されるのだが、
警護官に間一髪で助けられる。
やっぱり運がいいのかもしれない。
蛇足だが、わたしは明治の海軍軍人ではこの鈴木貫太郎と八代六郎と島村速雄が好き!
お嫁にいっていいぐらい好き(笑)。
では、『日露戦争明治人物烈伝』から鈴木貫太郎の段
場面は日本海海戦
その日、五月二十七日の夕刻、駆逐艦「朝霧」の艦上で
「俺は運のいい男だ」と大音声で言い放つ男がいた。高橋是清ではない。
その男、鈴木貫太郎はさらに続ける。
「だから、俺についてくれば間違いない。
どんな危険なときでも心配するな。
俺は、おまえたちを死なせる下手な戦はしないから、安心しろ」
と宣言するのだった。
通称「鬼貫太郎」と言われた海軍の名物男は、
「朝霧」以下「村雨」「朝潮」「白雲」の駆逐艦を率いる第四駆逐隊隊長(司令)で、
この日、二度目の水雷攻撃に就こうとしていた。
因みに、鈴木貫太郎が海軍を志望した動機は官費で海外旅行ができるから(爆)。
貫太郎、大好き!
『坂の上の雲』文庫第二巻 第十一章「威海衛」
やっぱり伊東祐亨の話しにすべきだっただろうか・・・
この人ね、十以上の足し算ができなかったのよ(涙)。