あかんたれブルース

継続はチカラかな

陸海の温度差



せっかく従軍記者として半島に渡った頃には日清戦争終結していた。
帰国して、病状を悪化させる子規。故郷松山で静養する子規を見舞う真之は
せがまれて日清戦争を解説する。
真之は今回の日本海軍の戦いを冷静に客観的に捉え、いくつかの問題点を考えていた。
これは五年後に海軍大学戦術教官山屋他人の質問に対する書簡として残されている。
その内容には「失態」「誤認」「遺憾」という問題指摘があった。


さて、馬太郎の余談だが(笑)

日清戦争の陸軍の戦いに問題提議した軍人がいた。
東條英機の父・英教である。
その「隔壁聴談」(かくへきちょうだん)は
参謀本部第四部長時代に作成されたとあることから
日清戦争直後の明治二十七年から二十八年であると推察される。
その内容に陸軍の法皇山縣有朋が激怒した。
そして、「隔壁聴談」は一般非公開とされ、
陸軍内では「極秘」文書とされ、閲覧は将官のみとされた。

東條英教は盛岡藩出身で薩長閥ではない。が、
陸軍第一期生の主席卒業生である。

同期には
秋山好古ブービー)、井口省吾、藤井茂太、仙波太郎、長岡外史(ビリ)
などがいることは既に書いた。

この折り紙付きの優秀な軍人は終生藩閥の弊害にあい、
日露戦争の際には抗命を理由に馘首同然で中将を最後に予備役となる。

同じ、藩閥外にあった同期の井口省吾
「君の無念はきっと晴らして見せる」と常に口にしていた。
後に井口は陸軍大学校長に就くと長州閥一掃を実行する。
しかし、東條英教の無念を晴らすべく藩閥一掃に情熱を傾けたのが
息子・英機であったことは歴史の皮肉でもある。

薩摩の海軍といわれたが、日本海軍を育てた山本権兵衛は薩摩出身でありながら、
薩閥色からの脱却を測り、広く人材育成に努めた。

秋山真之の問題提議と東條英教の問題提議の温度差は
山本権兵衛山縣有朋のまさしくそれである。

ただし、日露戦争以降の海軍も官僚化していき、その栄光を失墜させていく。

なんちゃって(汗)。




坂の上の雲』文庫第二巻 第十二章「須磨の灯」
文章が固いね(笑)