あかんたれブルース

継続はチカラかな

柔道と縁談



ここで秋山真之のもう一人の親友が登場します。
広瀬武夫。後に日露戦争の緒戦で真之が立てた作戦を実行して戦死し、
軍神に祀られる男。二人は共同生活を送り、同時に留学します。
真之はアメリカへ、広瀬はロシアへ、明治三十年六月二十六日付けの発令でした。
広瀬は海軍で、ロシア研究と柔道と漢詩に熱中しました。

余談でごんざれす。

二人の留学が発令させる十年前、
まだ海軍兵学校が築地なあった頃の話である。
校内で二人の生徒が取っ組み合いをしている現場に校長有地之充(中将)は遭遇した。
「何ばしちょる」
二人の生徒とは広瀬武夫と財部彪である。
広瀬はこれが起倒流柔術であること。心身の鍛練に極めて有効であること。
その第一人者講道館嘉納治五郎を説明し、その採用を強く献言した。
有地校長は副官の八代六郎大尉(当時)に嘉納治五郎講道館の調査を命じだ。
これが、海軍に柔道が正課採用される経緯である。
翌年、海軍兵学校江田島に移転したとき、千畳敷二棟の大道場が建設された。
これを「講道館江田島分場」という。

海軍の柔道は広瀬武夫が生んだ。といっても過言であるまい。どうじゃ、腰元。
こっちにきて酌をせんか、うん?
「そんあ御無体な」
生娘であるまいし・・・むふ。
ぐるぐるぐる〜 あれええええええ

余談だが、
広瀬と取っ組み合いをしていた財部彪は悩んでいました。
「どうした、財部。最近元気がないじゃないか?」
「実は、悩んでいる」
「俺と貴様の間だろう。聞かせてくれその悩みとやらを」
「実は、縁談が持ち上がっている」
「なに!この俺という存在がありながら武夫ヤッキーさんになちゃう。で相手は?」
山本権兵衛さんの娘なんだよ」
「げっ、それは玉の輿、逆玉じゃないか」
「それがイヤなんだ。こうなると一生『財部親王』って言われるよん(涙)」
「よし、わかた。この縁談俺が断ってきてやる」
「あっ、広瀬・・・いっちゃった・・・」

広瀬は権兵衛に実際に掛け合ったみたいですね。
でも、結局財部は親王になる。




坂の上の雲』文庫第二巻 第十三章「渡米」
熱血一直線広瀬武夫(1)