あかんたれブルース

継続はチカラかな

親切で世話好きな明治人

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渡米した真之はマハンから貴重な戦術研究の薫陶を受けます。
また、時を同じくして勃発した米西戦争を観戦して、後の旅順閉塞作戦のヒントとするのでした。
ワシントン日本公使は星亨でしたが、入れ替わりに小村寿太郎がやって来る。
坂の上の雲』では前々章の「日清戦争」に続いて小村を紹介することで、
当時の日本と日本人の環境と特徴を描きます。
当時の日本人の特徴に親切、世話好きがある。
それは、この章で真之が小村の書生だった工学士枡本卯平に対する「世話」もそれです。

余談だが、

ねずみ行使と蔑まれていた反骨漢の小村寿太郎の親切の話。

この頃、明治三十年のワシントンにトホホな日本人一座が流れ着きます。

川上音二郎貞奴の一座は明治三十二年に渡米しますが、
興行のスポンサーが事業に失敗し、弁護士が一座の金を持ち逃げされて、
悪徳興行師に騙され、貧窮逼迫していたのです。
また、シカゴでは藤田敏郎という領事に冷たくあしらわれるなど異国の地で
心細い辛酸の日々を送ってきたのでした。

小村は違った。

「安心したまえ、ワシントンではワシが肩入れしよう」

小村は公使館の夜会の余興に川上一座を依頼します。

第二十五代マッキンレー合衆国大統領をはじめとする政治家、閣僚、他国大使、財界人、文化人が一堂に会す場で川上一座は喝采を浴びます。
大統領も新聞もマダム貞奴の妙艶の舞を絶賛しました。

これは東洋の見知らぬ小国、日本を米国に認知させるのに
新渡戸稲造の『武士道』と同等の価値があった。

この成功から川上一座はニューヨークに向かい、そして欧州に渡ります。
その頃、パリでは万国博覧会が開催されていて、
川上一座とマダム貞奴喝采は鳴りやまない。

因みにマッキンレー大統領はこの直後に暗殺され、
副大統領だったセオドア・ルーズベルトが後を継ぎます。
ルーズベルト親日派に川上一座と貞奴が影響していたかどうか、
はたまた、小村がそれを意図していたかどうかは
わからない。

けれども、小村寿太郎が親切で世話好きな日本人だたことは

間違いない。



坂の上の雲』文庫第二巻 第十四章「米西戦争
画像は川上音二郎貞奴