あかんたれブルース

継続はチカラかな

追悼、山城新伍。

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山城新伍が死去した。糖尿病を患っていたそうです。
享年70歳。合掌。

日本を代表する「仁義」フリークを自称する馬太郎としては
追悼文めいた記事をアップするべきだと思う。うん

手元に『キネマ旬報増刊/日本映画俳優全集・男優編』を引き寄せる。
(これ高かったんだよ。昭和54年わたしの給料13万円で定価6000円!)

京都市上京区に生まれる。本名・渡辺安次。たしか開業医の息子じゃなかったかな?
1957年に府立山城高校を卒業。(山城新吾の山城は出身地、出身母校からなんだね)
同年、東映第四期ニューフェイスに合格。

同時に松竹にも合格したといいます。なぜ、東映を選んだか?

松竹の出演料が5500円。対して東映は6000円。この500円の差額で
彼は東映を選んだのであった(笑)。

同期は佐久間良子室田日出男山口洋子、そして後に結婚離婚する花園ひとみ。

私が山城新伍を和田アキコの「噂のチャンネル」。
73年10月5日から79年6月29日まで日本テレ系で、毎週金曜22時から22時54分まで生放送されていたバラエティ番組。
ゴッド姉ちゃんがせんだみつおやデストロイヤーを叩く虐める。
タモリなんかがこの番組で世に出るのですが、
山城新伍なる旅役者風の男が番組内で「ぼやく」のです。
白馬童子」で一世を風靡したのに泣かず飛ばずの裏道役者人生を。

そう、山城新伍はデビューして3年後に日テレの『白馬童子』で大ブレークします。
わたしは59年生まれなので名前は聞いたことはあるけど、知らない。

山城新伍・・・ここではじめてこの役者の名を意識しました。
意識してもなかなか混乱があって、当時公開されていた東映実録路線の
最後の輝き『県警対組織暴力』では室田日出男や川谷拓三と誤認した(汗)。
この二人はドラマ『前略・おふくろ様』でブレークします。

山城新伍を強く意識したのは『仁義なき戦い・広島死闘篇』の江田省一役。
凶器の千葉真一に眼帯をした山城新伍が対峙する。
それから完結篇で射殺されるまで、ある意味、菅原文太金子信雄と共に
喰った名脇役だった・・・なあ(涙)。

では、それまでの山城新伍は何をしていたのか?

脇役人生として若山富三郎などの幇間太鼓持ち)的存在として
適当にやっていた(笑)。根っからいい加減男ですからねえ(汗)。

アンナパパこと梅宮辰夫の『不良番長』シリーズ第四作出演以来
最終作『骨までしゃぶれ』の13本に出演。
この作品の制作舞台裏を本人談から漏らすところ、とってもいい加減!

男の顔は履歴書といいますが、
役者の履歴としての山城新伍の主演出演作品をチェックしてみましょう。

『未亡人(ごけ)ごろしの帝王』、『ポルノの帝王』が71年。
主演の『喜劇・セックス攻防戦』が72年。
寸評に「ポルノ映画でスケベな中年男をコミカルに演じた」とあります(笑)。

なんたって、「セクハラのライセンスを持つ男」を自認してますから(涙)。
因みに「キャンパス・チョメチョメ」なるレコードを出しています(号泣)。

後年はバラエティ番組の司会やゲストで
人生とか映画を語りますが、なんと申しましょうか・・・頭痛
苦笑を隠せない。なんたって山城新伍ですからね(汗)。
男の顔は履歴書といいますが、
なにをどういっても説得力がない(笑)。

役者としての寸評を再度引用すれば
「デタラメな八方破れの演技。台詞なのかアドリブなのか区別がつかない。」
でした。

「役者子供」という言葉があります。
山城新伍を六代目菊五郎と同列にすることは不謹慎かもしれない。けれど、
まあ世の中「日刊ゲンダイ」みたいな人が多いなかで、
山城新伍は「東京スポーツ」のような人だった。なあ〜

その代表格である丹波哲郎がシリアスな役もできたけれど、
山城新伍は極悪人も演じられず、ましてや真面目な役柄も無理。

スケベでセコくてインチキでデタラメな役しか演じられない。
それでも、
スケベでセコくてインチキでデタラメを演じさせれば
天下一品の役者だった。ことは、間違いない。

嗚呼、山城新伍よ。

君が「仁義なき戦いシリーズ」で小道具にした
「アイスキャンディー」を「大福」を「お寿司」を「西瓜」を「メロン」を
ボクは忘れない。
そして、金子信雄との絶妙な掛け合いを忘れない。
そのとき、確実に君は
文太を旭を欣也を主役を喰った。観客をさらったのだ。

よっ、山城屋「デタラメ」日本一!