梟雄に愛された日本人
「列強」ではロシアの成り立ちを紹介しています。
北清事変で秋山好古は第五師団兵站監として出征。義和団の乱が鎮圧されると、
好古は天津の清国駐屯軍司令官に就きます。
この時期が、軍人秋山好古の人生で唯一の軍政・外交の職務を執ったとされます。
これがなかなか評判がいい。日本人も中国人も欧米人も好古のファンになった。とさ
さて余談
そのなかで、清国を倒し中華民国を建て皇帝になろうとした袁世凱が
好古の大ファンだったといいます。
袁世凱は実力者李鴻章が没するとそれをまんまと引き継ぎ、この頃は天津直轄総督でした。
この「梟雄」とも「野心家」といわれる袁世凱は日本人を信頼していました。
これは利害と共に、当時の日本人の資質が影響している。
その袁世凱が最も信頼した日本人は秋山好古の飲み友達なかにいます。
青木宣純。
好古とは士官学校の同期生で、薩摩出身。川上操六の門下生であり、
砲科出身ですが参謀畑を歩む優秀な男でした。北清事変では天津民政長官、
この頃は北京公使館付武官ですが、坊主に変装して諜報活動などをしていました。
情報将校の草分けは児玉源太郎の懐刀・福島安正が有名です。
彼も川上操六に抜擢されて人物。
日本の諜報活動は川上から児玉に引き継がれ、福島安正にバトンを渡されるはず、だった。
残念ながら、日露戦争後に児玉が急逝すると藩閥出身者でない福島(松本出身)は
封印されてしまいます。
話をもとに戻して、
日本の情報・諜報活動は福島安正より、好古と陸大同期の仙波太郎、そして青木と
柴五郎(こちらも士官学校で好古、青木と同期で、会津出身)などがいます。
あっ、明石元二郎を忘れてた! みんな大佐だなあ(汗)。
さて、青木宣純は袁のブレーンとしてその軍隊を鍛えました。
袁からの信頼は100%だったいいます。
日露開戦にあたって、参謀部次長・児玉源太郎は青木を訪ね、
日露戦争での裏舞台での任務を頼みます。
裏舞台での活躍ですからなかなか表にはでませんが(笑)。
青木宣純の功績は、明石元二郎に匹敵するほど大きい。
そこには袁世凱の信頼から協力があったからこそ名のですね(涙)。
なのに中将どまりかよ!
『坂の上の雲』文庫第二巻 第十六章「列強」