あかんたれブルース

継続はチカラかな

権兵衛のこと



子規が姿を消すと、物語は日露戦争に向かって群像劇に変容していきます。
その中心的キャラクターの一人山本権兵衛の登場です。
日露戦争時の海軍大臣で、無名だった東郷平八郎連合艦隊司令長官に抜擢。
日本海軍を作った男、育ての親。
原作では若き権兵衛が戊辰戦争後に前途に迷い相撲部屋に入門しようとした
エピソードが紹介されています。
その後、西郷隆盛に相談して、勝海舟の紹介で海軍にすすむ。
もの凄い暴れ者で兵学寮(海軍兵学校)では番長でした。

さて、原作にない余談エピソードとしては
士官候補生の権兵衛が品川の遊郭から惚れた女を略奪する逸話ですかね。
この女性がトキ夫人です。
なんとその婚礼の夜、権兵衛は「絶対浮気しない」と誓約書に記す。
そして、それを終生守った! 

余談だが、

権兵衛の挫折の話を一席。

明治十三年、山本権兵衛少尉はある意見書を海軍兵学校校長の
仁礼景範少将(当時)に提出しました。その内容は、
海軍高級士官の近代海軍を再教育させるというものでした。
もっともなことだと、仁礼校長は賛成してこれを海軍省に進言しました。
これが波紋を呼んだ。特に海の薩摩閥から・・・
クレームを受けた仁礼校長は怒って辞任する騒ぎになります。
そして、
権兵衛自身の約五ヶ月間「非職」を命じられます。

一説には、当時の海軍卿榎本武揚幕臣)を薩摩閥に刷新するための
人身御供に権兵衛があてられた。というものもある。

次期海軍卿・川村純義(薩摩)は喰ってかかる権兵衛に
「あまり過去のことを言うな」となだめます。

しかし、この事件は権兵衛に相当ショックだったようで、
その所信のためにはいつ海軍てもいいようにとトキ夫人に貯蓄を言いつけます。
倹約家権兵衛はここから生まれたようですね。

さらに、後年の海軍大リストラや薩摩閥一掃も
このときの苦い弊害を痛感してのことでしょう。

因みに川村純義は白洲正子の爺さんです。
もう一人の爺さんは樺山資紀(薩摩)でごわす。
この姻戚関係は陸海の不仲の緩和のためでした。
同じ薩摩閥なのにねえ。複雑じゃ。




坂の上の雲』文庫第三巻 第十八章「権兵衛のこと」(1)