あかんたれブルース

継続はチカラかな

一葉の絆

昨夜、寝床で団鬼六先生の『牡丹』を読んで、泣いてしまった。
ほろっとではなく、嗚咽してしまったのだ。

団先生がその半生で出会ったひとたちとの場面と感慨を綴ったエッセイ集。
短編集かな。決して変態SM本ではないよ。

「年賀状」

なんてことなさそうなタイトルの父親のエピソードは
文庫本の七番目にありました。

団先生の親爺さんが相場師の鉄火肌であることは
自叙伝『蛇の道』で存じておりましたが、とてもユニークな方です。

その親爺さんが蒸発してしまった。

当時日劇ミュージックホールで働いていた若き団青年は
実家からの電話で家族の動揺を知ると、大阪に帰り
母親に内緒で阪急沿線の北区中津に向かいます。

団青年は父親の隠遁先を知っていたのです。
「お母さんに内緒にしておいてや」
親爺さんはテキ屋の亭主と死別した未亡人と愛人関係になっていました。
その彼女と毎日将棋をさしていると、暢気なことを・・・惚気ていました。

親爺さんは破天荒な生き方を楽しんでいましたが、窮して、
不本意にも勤め人となって55歳まで働き、そして蒸発して
この素晴らしき隠遁生活をはじめたのです。

その愛人宅は狭ッ苦しい裏町のトタン屋根の続いた奥にある一軒屋でした。

団青年が裏口の窓から中をのぞくと
鼻歌まじりに中古のパチンコ台の釘を打ち直している親爺さんに
浴衣姿の洗い髪の女が茶を運んできて、
ぴったりと寄り添って親爺さんの汗をタオルで拭いたりしている。

そこで一服、煙草に火を着けた親爺さんは、彼女を見つめて顔をほころばせ
「お前、最近、すこし太ったな」なんて、
ふたりできゃっきゃいって・・・
もう見ていられない。

「おい、こら、親爺」

ふたりはびっくりして、親爺さんは照れ笑いをして、
彼女は懸命に平静を取り繕って精一杯の笑顔つくります。
「ボンボン、汚い所ですけど、どうぞ上がっておくれやす」
歳の頃は三十二、三でしょうか。

酒が出て、話の接ぎ穂から、親爺さんは彼女が将棋が強いのだと言い、
そして、将棋が始まる。

団青年に将棋を教えたのは親爺さんだった。
いまではもう息子の方が問題なく強いのですが、
二人の指す将棋は見ていると、とても楽しそうです。

「よし俺が棋譜(記録)をとってやる」

団青年がそう買って出た理由はこれが最後の将棋になるだろうという
思いがあったからです。

その後、数日間
息子は父親を説得し続け、なかば脅して、
二人を別れさたのです。

親爺さんが立ち直るのにはかなりの時間を要しました。

やがて彼女は、京都の果物屋に嫁にいった。

「結婚することになりましたけれど、たまには逢うて将棋しまひょ。
 将棋友達やったら、かましまへんやろ」

これが彼女の親爺さんに対する最後の言葉だったという。

親爺さんはようやく淋しい落ち着きを取り戻しました。

時折、親爺さんはあの時の彼女との熱戦棋譜を見つめながら
将棋盤に駒を並べることがあった。


団先生が幼い頃、父親に届く年賀状は彼の交友関係の広さ深さの証だった。
歳を老い、その数が少なくなっていきます。
いまでは五、六枚に減ってしまっている。

そのなかで、毎年必ず一通の年賀状があります。
「謹んで、貴方様のご健勝をお祈り申し上げます」
自筆で、ただそれだけの年賀状が二十年欠かさず届く。
あの彼女のものでした。

それだけが、お互いを確認する方法だったのですね。

親爺さんは寝たきりになってしまった。

そして、将棋が指したいとうわごとのようにいった。

団先生は胸が痛みました。
その頃の親爺さんへの年賀状は三枚になっていました。
毎年、正月の年賀状が届くとき、ポストを確認するとき、ドキドキしました。
息子は、どうか彼女からの年賀状だけは絶やさないで欲しいと
願い、祈り、頼みにいこうかとも思った。

二十年目の年の暮れ

京都から親爺さんあてにハガキが届いた。

- 亡妻の喪に服しておりますので年始め御挨拶は御遠慮申し揚げます -


もう一度、彼女と将棋を指させてやりたかった。
それくらいの労をどうしてとってやれなかったのか
息子は、胸がこみあげて来た。

その翌年の元旦をまたず、親爺さんは他界しました。




幻冬舎アウトロー文庫 団鬼六『牡丹』
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