あかんたれブルース

継続はチカラかな

節操はあるか。

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坂の上の雲』人物烈伝から
日露戦争に沿ってそういった漢たちを紹介していきたいと思います。

第一回は林董。はやし、ただす。と読みます。
駐英公使。大使ですね。
日英同盟締結の立役者です。

この人は幕臣だったのです。
養子に入った林家も実家の佐藤家も医者だった。
あのヘボン塾で英語を習って慶応二年に英国留学。
語学の才能があったようで、綺麗な英語と話して書けた。
ところが、
帰国したら戊辰戦争で幕府はひっくり返ってしまっている。

ここに従弟の榎本武揚がいた。ちょっとややっこしい関係ですが、
彼の実の姉が(林家の当主で董の義父に)嫁いで生んだ娘が
榎本武揚の妻。
叔父にあたるの?どっちが?
まあ、それはいいとして、

武揚兄さんが徳川に義理立てして戦うなら僕も行く。僕も戦う。
僕も連れて行っておくれよ、武陽兄さん! この時、董19歳。

さてさて、困った榎本武揚。あたらこの若さで死なせるの不憫。
考えた末に「じゃあ、実家の父上に承諾をもらってきてね」
と、条件を付けました。

で、董青年は千葉の実家に帰って「お父さん、お願いします」と。

ここで、父親は
事、ここまで幕府がこうなったのは、
内部の腐敗、だらしなさ、根性無しのダメダメ武士根性のせいで
朝廷が薩長を認めて官軍となった以上、もはやどうにもならない。
としたうえで、上でですよ。

「しかし、人間には節操というものがある!」

と、一転、行け戦って見事に死んで幕臣の意地をみせてやれと激励する。

董はこの父の四十六歳の時の子供で末っ子。
それはそれは可愛がられたものです。
その父がこれです。泣かせますねえ。

現代の親だったら絶対に言わない、まず考えない。
それとなく損得を説いて、「命は尊い」か「粗末にするな」です。

董は榎本と函館戦争を戦って敗れ捕らえられる。
英語が出来るので、新政府に必要とされるのですが、董は
「みんなと一緒じゃないとイヤだ、自分一人ならダメ!」と拒否。
これが薩摩人の信用を大いに買う。外交官林董がスタートします。

幕末から明治にかけての薩摩人を生き肝を喰う人食い野蛮人のように
いう人もいますが、そんなこともないよ。
長州人に比べて幕臣には寛大だった。黒田清隆なんかが良い例です。

董の父親は、その戦いで息子が戦死しても、
会津人のように遺恨は語り継がなかったとも思う。
幕末、明治にはそんな人も多かったかとも思います。私が思うだけですよ。

また、福沢諭吉のように、榎本武揚勝海舟幕臣でありながら
その後、明治政府に仕えたとして、批判する者もいるが。
では、董もそのまま死ねば美談となったのか。

要は彼らは、武士の意地、節操を守って戦ったとすべきでしょう。
そして、戦いは敗れて終わった。

それぞれに仕事がある。
幕臣の面倒をどうするかもそれでしょうし、新しい日本をどうするか。
そして、林董は日英同盟締結に大きく貢献した。

それで、いいじゃないか。

と、思うのです。
董の父親も嬉しかったと思います。
それで、いい。




坂の上の雲』(まるわかり)人物烈伝(1)林董

しかし、いい顔してるねえ。
なんか風貌が岸田吟香に似てる。あっ、ヘボン塾ね