先月、NHKのドラマ『白洲次郎』最終話「ラスプーチンの涙」で
この言葉が出ていた。
戦後、GHQの支配下、干渉のもとで日本国憲法を制定するにあたって、
この「輔弼(ほひつ)」という表現にこだわっていた。
「輔弼」とは
大日本帝国憲法の観念で、天皇の行為としてなされ、あるいは、
なされざるべきことについて進言し、その全責任を負うこと。
それ以前
1871年の太政官制度の改革により三院制が導入され、
このうち最高機関である正院においては、天皇の臨御の下、
太政大臣、納言(左右大臣)、参議の三職がおかれることになる。
三職のうち、天皇を「輔弼」することができるのは前二者のみであり、
参議は前二者を「補佐」することしかできないとされ、
天皇との距離が明確に区別されていた。
明治維新はひとつの尊皇という宗教戦争(表現には問題ありかも)の様相があって
武家社会から天皇統治への革命を大義名分としたことからなんだろうね。
岩倉具視はそれにこだわり、
伊藤博文はそれに対抗した。それに大隈重信が絡んで混乱した。
急進派の大隈に対して、伊藤は現実的な理想主義者だった。
立憲体制には時期尚早とする伊藤博文。
けれどもそれを成し遂げるのも彼である。
これはやがて統帥権の問題に変容していく。
児玉源太郎が旅順に向かう際に、乃木の第三軍司令官の職務を
一時代行するにおいて、気を使ったがこれだ。
統帥権紊乱。
また、内地にあった二重構造の山県の参謀本部が明治天皇を動かし、
二〇三高地を優先させる案を大山巌は却下した。
この、事実に瞠目すべきである。
そして、天皇が乃木の更迭を認めなかったように、
大山も認めなかった。
統帥権の問題は非常にデリケートでナーバスなもので
軍人たちがそれを必死にフォローしようとしていることがうかがえる。
皮肉にも、
尾崎行雄がそれを政局の道具に使ったことが薮蛇となって
軍部の暴走に歯止めがきかなくなってしまう。
>開国から一億玉砕まで行って、ようやく、目がさめたっちゅうの。
この課程を一言でいえば、「輔弼」と「統帥権」の
拡大解釈の乱用であったと思う。
そして、日本という国が近代国家の一歩を踏み出したときに
イスラム教国家やローマ帝国のような
ひとつの宗教国家に似たようなものであったんだろうなあ、と。
これがこの国の成り立ちであると、つくづく思います。
それ以前の日本は全国の各諸藩による地方分権の連邦国家だった。
それが明治維新以降、一気に天皇の国として統治される。
その原動力は
明(漢民族国家)の滅亡による日本の中華思想の権利取得。
頼山陽『日本外史』の名文美文。
列強の植民地支配の外圧。
そして、写真だ。
明治天皇のブロマイドが全国の各家庭に飾られる。
写真が、聖書のようなコーランのような威力を発揮した。
ビジュアルが言葉を凌駕した。