しっかりしろよ大山君!
親戚づきあいしたくない。三島通庸・・・鬼!
なのに娘を嫁がせたのが大山巌でした。
おかげで娘信子は
嫁いだばかりの三島家でインフルエンザに感染した家族の看病をしたら
うつされまして、こじらせてしまいます。
で、大山家に里帰りさせられる。最初は療養という話でしたが・・・
しばらくすると、離婚話が持ち込まれてきた。
どうも結核の疑いがかけられたていのですね。
当時は死病として恐れられていました。
でもねえ・・・
大山家では、そのことを信子には内緒にしていました。
それを知らない信子はせっせとベッドで夫に手紙を書いて送ります。
大山家では信子の手紙も、夫からの手紙と一緒に燃やしていたそうです。
ところが、ある日、
新米のお手伝いさんが夫からの手紙を信子に渡してしまった!
さあ、大変。
「この結婚は家のためになかったものと諦めるので
あなたも諦めて欲しい」ですって。
ショック
その日から信子の病状は悪化する。そして帰らぬ人となるのです。
信子の婚礼は明治二十六年の四月二十四日
離婚成立は明治二十八年の九月
信子が死去したのは明治二十九年の五月二十一日。享年二十歳
・
・
・
しっかりしろよ大山君!
さて、この腹立つ話には余談後日談がある。もっと原辰徳優勝おめでとう。
この信子をモデルの徳富蘆花が小説『不如帰』を新聞に連載した。
悲劇のヒロインが三島家の非道に・・・ではなく
大山巌の後妻・捨松を冷酷な継母に描くのです。
フィクションとはいえ、明治の日本人は単純ですからすべて事実と信じる。
こら! 敵は三島家だぞ(涙)。
捨松は米国留学で看護学校に学んだので、信子を邸宅のなかで
隔離したのです。幼い子供達にうつさないために。
それを世間は冷たい継母と陰口したのでした。
だから、わたしは徳富蘆花は嫌いだね。
兄さんの徳富蘇峰は好きです。
だけど、三島通庸は大嫌いだ。
三島家も嫌い。
親戚付き合いなどしないぞ。聞いてるのか三島通庸。返事が聞こえん!
悪代官!三島通庸(2)
写真は「己を空しくする」訓練をした大山巌