あかんたれブルース

継続はチカラかな

陰謀説115日抗争



今年の1月18日から明治のイケメンとして
「明治男前烈伝」の十人目を御落胤堀川辰吉郎にもってきて
巷の陰謀説を覆しつつも、玉石混合の近現代史の謎を紹介、検証してきました。
そこには「ニューリーダー」で連載されていた落合莞爾氏の論文の
取り捨てがあった。

近現代史を考察するには「杉山茂丸」をキーワードにする。

その意味では、現在の正統派権威の半藤一利氏よりも
落合氏の指摘のほうが数段スリリングで正鵠を得ている。と、わたしは思う。
だからこそ、落合氏の
薩摩ワンワールドという基本コンセプトが不自由で仕方がなかった。
それを支持する人には、馬太郎は頑迷だ。君も固定観念にとらわれている。
と思われるかもしれないけれど、それでも全然かまわない。

薩摩ワンワールドの不自然さは、結局それが何をしたのか?でした。
その首領、高島鞍之助(樺山資紀も含めて)の所業、脇の甘さ。
そして、上原勇作が何をしたか、できたのかを洗ってみたかった。
上原の面白いエピソードってあまりない。面白みに欠ける人物です。
日露戦争後に軍人として
陸軍大臣教育総監参謀総長陸軍三長官を経験した
薩摩閥の首領といわれているのは確かだ。

けれども、上原は何をして、なにができたのか?

張作霖事件の黒幕だともいう。だとして、それが結果としてどうなったのか?

満州国というものを考えるときに、
日露戦争後の参謀本部、軍人、日本人、日本国の変化を痛感します。
その延長線に現代の日本人は在る。

今村均良識派将官の代表みたいな軍人)の本に
後年の上原の姿が紹介されている。
「頑固おやじ」として軍組織では煙たがられていたようです。(岳父以上に)
読書かで、どちらかというと学者肌の軍人って感じですかね。
夫人との仲は・・・
どちらかというと夫人はさびしい想いをされていたようだった。
そんなことを露骨に表現する今村さんじゃないけれど、読めてとれます。
ま、そんな男です。不器用で

柴五郎の本のなかにも、陸軍士官学校時代の風景がちらり(上原と同期)
「いばってた」ってあった(笑)

なんかさ、上村彦之丞がどんなに粗暴でいじめっ子でも愛嬌があるけれど
上原が「いばってた」ってなると、苦笑いしてしまう。
たぶん、クラスメイトの秋山好古は無視していたと思うな。
秋山は同じ薩摩でも青木宣純と仲が良かった。
青木は、上原よりずっと優秀だった思うし、ずっと功績もあった。
でも、中将どまり。これが諜報係のつらいところです。

戦後ジャーナリズム(作家も含めて)は権力に対する
懐疑と憎悪こそが正義だとする姿勢があって、
それが故に捉え方を誤る場合がある。
わたしは三好徹とか好きですが、ときどきそれを強く感じる。
師匠の笠原和夫でさえもそれがある。
まあ、戦争にいったもんといかんもんの違いじゃろうかね。

また、藩閥の捉え方も違うと思う。

とにかく、上原の薩摩ワンワールドの首領説は却下。
今回の墓穴は、その手下に石光真清と日野強をもってきたことです。
落合さんは外している。
それもこれも英国・薩摩ワンワールドという基本コンセプトの
しがらみ、最初のボタンの掛け違いが原因だと思う。

なぜ、そのキーマンを高島でなく、川上操六にしなかったのか。
ここです。すべてはこれ。
わかりますよ、川上だと話の辻褄があわなくなるからでしょ。
しかし逆にいうと、だからこそその最初のコンセプトが間違っているんだ。

とはいえ、わたしは落合氏の話を全面的に否定するのではない。
巷のユダヤ人・朝鮮人フリーメイソン陰謀説なんかよりも
遙かに上等なものだと思います。応援したいくらい。
でも、高島や上原をもってきてはいけなかった。

ここからさき、シベリア出兵や満州事変、二.二六事件と
話を進めていくべきなのでしょうが
色々寺分なりに調べてみる時間もほしいので、それはまたいつかまたやります。

ロマン議長の第一回「青空会議」に参加して
強く思ったことがあります。
これからも近現代史を中心にブログは更新していきますが、
「青空会議」に(自分なりに)リンクさせてみたいと思った、わけだ。

ちょうど、頃合いもよいのです。
なんで上原じゃダメなのかを理屈じゃなくて伝えることにもなるし、
それにもう巷の陰謀説云々の検証にも飽きちゃっや。三カ月半もやったしね。
ということで、内容は変わらないとは思いますが
本日で一応、仕舞いでやんす。




分類は「若宮」
明治男前烈伝(10)堀川辰吉郎(14)上原勇作疑惑(了)