テロリストの雨やどり
あれっくさんのコメントに触発されて
続・以蔵の話
司馬遼太郎の中編に『人斬り以蔵』というのがあって
若い頃読んで感動しました。
その後遺症がまだ残っていたようで
不覚にも先週の『龍馬伝』でわたしは泣なきました。
正確には泣き笑い。忙しいこった。
無宿人として斬首される結末を知っているからか
切なくて切なくてたまらない。
『竜馬がゆく』にもあるけれど
以蔵が龍馬のいいつけを守って勝海舟の用心棒をするシーン。
まるで野良犬が二人の飼い主のまえで戸惑う姿に心を打たれたものです。
ポエムだね。
小説より奇なる現実
あれから何十年も経っても
それでも、以蔵の後ろ姿を追ってしまう。
わたしの龍馬への愛着はそこに集約される。薩長同盟よりもなによりも。
岡田以蔵が必要とされた 場、人、自分の居場所をもとめいた。
武市半平太と坂本龍馬
どちらにも理想はあったと思う。
けれども、龍馬には
愛があったな。
愛だよ。
愛。
手垢のついた言葉になって
しまったけれど
愛、
これが究極のエロティズムの正体だと思う。
人間は損得だけでは動かない。
あれっくさんは
『人は自分の経験を通してしか理解することは出来ない』といっていた。
つ〜たんも似たようなことを言っていたなあ。
わたしも自分の経験を通して言う、とすれば
人間は必要とされたい。
そういう場を、人を、求めている。
人間を熱狂させるエロティズムとはそれだ。
だから、損得だけでは動けない。動けないものだと思うんだ。
杉山茂丸も以蔵と同じテロリストだった。
青年はいつも徒手空拳なのだ。
杉山をテロから足を洗わせたのは、そのターゲットだった伊藤博文。
まるで小説の竜馬と勝海舟のような・・・ポエムがありました。
かといって、弟子にはならなかったけれどもね。
もう一人は頭山満です。
今後、テロは一切やめる。
そう誓って、結城虎五郎と三人で左中指を切った。切断しちゃった。
(俗説では色々あるけれども、わたしはこの説を取る)
これもポエムだ。
そして、杉山は「一人一党」を張って奔った。
杉山は玄洋社の社員じゃない。
薩摩の、長州の、ヒモつきでもない。
近現代史の歴史考察の不自由さは、損得だけで判断するところだと思う。
実際に世の中がそうなってしまたので、そのほうが
分かりやすかったんだろかな。
現在の列強にテロという方法で対決している者たちがいる。
たとえばアルカイダは以蔵の勧誘、洗脳、獲得に躍起になっているそうです。
たぶん、そこには武市半平太はいても
勝海舟や龍馬や伊藤博文は
いないんだろうな〜
と思った。
「青空会議」疾風録(4)近現代史は語る(2)