あかんたれブルース

継続はチカラかな

笑う民人



ちょっと前、春の番組改正で民放どの局も特番をやっていましたね。

「衝撃映像」とか、実は好きです(恥)
「ハプニング集」とかね。(番選のドラマのNG集はチャンネル替えるけど)
投降モノとか報道番組のNGは楽しい。地方モノね

で、先月か先々月に「おバカ特集」をやっていて
世界各国のいたるところのおバカさんがおバカなことをやてる図が
紹介されていた。ゲラゲラ笑いながら観てました(恥)。

で、考えた。「笑い」って大切だなあ〜 って
こんなおバカなことをやってたりやれたりすると諍いとか紛争も
起こらないのではないだろうか、と。

それにそれなりのある程度の豊かさは必要だ、とも考える。
でも、豊かになった日本でもギクシャクしていた。景気が良い時代でもさ。
いまはもっと劣悪な家庭・職場などの環境だけどさ。
もっと笑いとかおバカなことを真剣に考えてもいいんじゃないだろうか。

まあ、江頭2:50みたいにイスラムかどこかで
お下劣な芸で暴動を起こしちゃいけないけどさ。TPOも大切 だけど
そこまで激興しなくてもいいとは、実は思う。
「所変われば」っていうのはある。でもさ、銃社会アメリカで
ハロウィンの日に家を間違って射殺された少年。
それを「平和ボケ」とか「アメリカのそれが常識」なんて
評論してた有識者の感覚は変だと思うけどね。
そういった事には断固として抗議すべきだよね。遺憾の意とか哀悼じゃなくって。
あれをアメリカの常識にしちゃいけないよ。
だいたいがして、アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードになるわけだし。

同じ国の国民でも色々な人がいるわさ。

日本人がみんな江頭2:50ってこともないし。
(わたしは好きですけどね、あのノリ。一緒には住みたくないけど)

笑い。に対して、ある程度の「豊かさ」という条件をつけたけど
実は、これもさほどは考えていません。

たとえば、愛に対してもその条件をつける場合があるけど、
関係ないような気がします。観念的だと思う?
愛も笑いも、条件は付随しない。これが結論だと思う。

条件で左右されるとすれば、それまでのもの。厳しい言い分だけど。

金持ちのギャグって面白くないって、浅田次郎も言っていた。
むしろ、本当の笑いは、極限から生まれるんだって。次郎さん良いことを言う。

アメリカ映画の戦争モノでアメリカ兵はマジやばい時に
ユーモアを発している。
パーティージョークやフランス小話はさっぱり理解できないけれど
そういう強さというか豊かさに感動しちゃうよね。

いま、日本には愛が足りてないけど、
笑いも不足していると思う。
それはモニターで演じられるお笑いタレントの他人事とは別の
自分の中の、自分のまわりの、環境として

温室ガスは削減しなきゃいけないけどさ、
笑いのガスはどんどん放出していいんじゃないかと思いました。
少し優しくなれる。きっと

ということで、第二回「青空会議」では一人一本一発芸を
自己紹介でやってもらおうか。
宴会なんだから、それもまたよろし。

5月30日(日)13時 西郷さんの銅像(集合場所)→不忍池(会場)
上野の山が、笑いに包まれる。不忍池鼻から牛乳



「青空会議」疾風録(11)