あかんたれブルース

継続はチカラかな

卒業式の雑感



三月前、息子の小学校の卒業式で卒業証書授与の場面で
卒業生全員がひとことメッセージを発するセレモニーがありました。

あれが噂の問題児「きゃめろん」君よ(仮名だよ)

「きゃめろん」君はちょっとした有名人で子供達には変な人気がある。
親がかまわないとかで、小遣いをやって、その小遣いを使って
「きゃめろん」君は友人におごって、まずそれが変な人気の理由のひとつ。

もうひとつは、「きゃめろん」君はおバカです。ノータリン
先生も匙を投げている。(決して曲がらない)

保護者のお母様方には人気がありません。
おバカが感染るといった感じ。
学校の宿題もやってこなけりゃ、言われたものを持ってこない。何も
「きゃめろん」君の母親はフィリピーナだ。

色々な個人差はあるとしてもフィリピーナは日本人の母親に比べて
あんまり子供にかまわない。
言葉の、コミュニケーションの問題もあるようだ。
それ以上に、環境というのかな・・・
保護者会に来ないし、とか。保護者のお母様にはとかく評判が悪い。わけだ。

雑婚の話をしたけれど、その裏付けとして
わたしの住む区の小学校の息子の名簿に目をやると
中国、韓国、フィリピン、バングラデシュ・・・色々バラエティーにとんでいる。
わたしもベンガルの少年と友だちだった時期があります。美しい少年だった。

子供達は、そういうことで差別はしない。

むしろ、親だね。

たしかに、彼女たちは郷には入れば、の郷の外なのかもしれないけれど
なんかさ、我が女房ながらそういった井戸端会議参加して
あれこれ話を合わせている姿に、色気を感じなくなくなってします。

なことより、ふと 昔のことを思いおこしてみていた・・・

わたしが小学生だった昭和四十年代の前半
クラスには「きゃめろん」君以上のおバカノータリンは、いた。
「なかよし学級」といって特殊学級もあった。
そのボーダーにある子が一人か二人か三人はいた。

小学校二年生のときにこの「なかよし学級」の人数が足りなくなって
担任の嶺苫先生が「だれかなかよし学級に入りたい人はいませんか」
とクラスの朝礼で勧誘したことがある。
「はい!」
とわたしは手をあげた。ウケた。
「馬太郎君、君が行けば即学級委員長だよ」先生も笑った。

わたしのオチャメは笑い話で済んだけれど、親友の新ちゃんは
担任が何度も家に来て、熱心にしつこく、勧誘してそうです(涙)。
あいつは最終的に国立大学に合格したんだけどね。
弁護するわけじゃないけど、新ちゃんはまだまともだったよ。
もっと危ないボーダーのクラスメートはたくさんいた。
南けいこ、おにぎり頭の佐古口、耳の遠い下木原、頭皮に瘡蓋を被った上木原・・・
懐かしいねえ
森真子の芸名をもつ加世子は小桜一家の組員の嬢婦になったし、
中学になっても仮面ライダーを卒業できない牟田は小桜一家に入って
逃げてきたっていう話も聞いたけかね。懐かしい

あの頃の親は、そうさほどあまり子供にかまわなかった。

ゆとり教育が問題にされているけれど、
わたしの昭和34年組から35年組が詰め込み教育のピークだったとか。
そのなかにあいつらはいた。高校に行った連中もいます。

で、ね。「きゃめろん」君を はじめてみて
なんとなく懐かしく想った。
ノンちゃんは、あれじゃやくざになるって言ってたけれど・・・

あっ、「きゃめろん」君の番だ

「六年四組某田きゃめろん君」

腰を少し落として、正面より少し上を見るようして
「きゃめろん」君は右手を天に指して大きな声で言った。

「天を駆け、地を・・・」

なんか格好いいセリフじゃないか! こういうノリ好きだよ私は。
あとで聞いたら仮面ライダーの決め台詞なのだとか(笑)。
で、その台詞の途中で、「きゃめろん」君は突然、

「はい!」

と返事をした。そして、あっちゃあ! と一拍置いて続きを始めて終わりました。
そのとき、会場は訳も分からずでも大爆笑の渦。「きゃめろん」君は人気者です。

わたしも笑った。笑いながら考えた。
「きゃめろん」君は自分の名前を呼ばれて、即、自分のメッセージを発した。
途中で校長先生の「六年四組某田きゃめろん君」の声が
右か左かの脳に達した、わけだ。そこで、ようやく返事をした。
その間、約3秒。
そんなことを考えて余計に爆笑した。

ナイス、きゃめろん君!



なんかさ、格差社会っていわれている。
最近では教育の格差も問題視されている。
でも、どうなんだろうね。
わたしが過ごした小学時代はもっと「弛み」というか「ゆとり」というか
なんというか「ゴッタ煮」で「いい加減」だった気がします。
その教育の格差っていうのもピンとこない。
モロ高学歴の連中と付き合ってきたけれど、彼らは彼らで
おバカノータリンだけどねえ(汗)。

差別というものはなくならい。
異質な者への不安と否定による肯定、そして連帯感。
しかしさ、そんなことを拠り所にするんじゃあ
先が思いやられる、と思う。


なんか妙に長くなってしまった。
そうそう、きゃめろん君の母親は来ていなかったそうです。