あかんたれブルース

継続はチカラかな

革命のプロセスとコンセプト

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ロマン議長と初めて会ったのは昨年の四月末だったと思います。
それが青空会議の準備会談みたいなものかな。春風さんも参加してくれた。
そのとき、これは決して「青空会議じゃない」としました。あくまでも「プレ」

第一回「青空会議」は2010年4月25日です。

でね、
参加者の「数」の重要性を説きつつも、
人数にこだわることはない。ともいってきた。

「数」についてはみんなその重要性を理解していると思う。
でも、今はまだ数じゃないんだ。
大切なのは「楽しく」、「開催」する、した、している。ということ。

それでも第一回では7人、祝ケータイ1人、飛び入り参加2名
これには正直ビックリでしたけどね。

上の図は今の仕事の関係で作成中の「明石工作とロシア革命」の一部です。

ロシア革命(1917年)とひと事でいったもそう簡単単純じゃない。
図は1902年頃から1905年1月22日まで(実質は2004年の1年)

ロシアのなかにも色々な党派があって目的と利害が異なり対立しています。
たとえばロシア国内の「エスエル」という党派とは別にロシア社会民主労働党
そのなかで多数派と少数派で対立します。
この多数派(ボリシェヴィキ)のなかにレーニンはいる。

革命はロシア国内だけではなく、フィンランドポーランドグルジアアルメニアラトビア・・・
その国々でもロシア国内同様に各党が対立している。わけだ

こういうのを一本化するのって大変です。そんななかで
2004年の9月30日から開催された「パリ会議」は意義深いものでした。
けれども、歴史認識の在り方の主眼の置き方によっては
「失敗」と指摘するものも多い。

そんなことは、ない。んだけれど、まあそれはこの際、横に置いて。

数の論理は、わたしも充分に理解している。
時にはロマン議長を焚きつけたことだってあります。
でも、いまは数にこだわる段階ではないんだと思うのです。焦ることはない。
なぜならなば、
わたしたちは一個人でありなかがら一人じゃない。
個人が「一党」なのだ。杉山茂丸の「一人一党」だね。
なぜかというと、みんながそれぞれ「媒体(機関紙)」を持っています。
ボリシェヴィキレーニンが『フペリョード』を持っていたように
青空会議の参加者は各自ブログという媒体を持っている。
なかには、自由人さや以蔵さんのように独自にメンバーを構築されている方々もいる。

ネット社会にあって、この環境は無視できないものです。

別に参加しなくても、会議の内容は各自が伝えることができますからね。
その意味で、あれっくさんが言うように
一個人の媒体としての力は大きいのだ。

わたしはこれを「革命マルチアムウェイ」と命名したが
ネーミングが不味いので自己粛正。「革命ネズミ講油の地獄」かな・・・
「革命オレオレカフェ不忍池」違う・・・

ま、いいや。

大切なのは「楽しい」ってことだよね。
前世紀の革命は「武器」とか「暴力」とか「血」によって
「悲願」の「非」だったけれど、
青空会議の原動力、その源泉は「楽」じゃないといけない、と思う。

楽しい、青空会議

第二回開催は今度の日曜日。
午後1時に上野西郷さんの銅像の下で集合して
不忍池会場で開催されます。
各自は飲み物とおつまみを持参してください。バナナはおやつに入りません。
ノリもの酔いの薬は各自の自由じゃ。



「青空会議」疾風録(14)