あかんたれブルース

継続はチカラかな

勝つまでやるか、負けるまでやらされる



あれは山岡荘八の言葉だったと思いますが

 幕末(その時代)の生死観とか価値観は
 その時代の環境をよく考察しないと理解できない。

というようなニュアンスのことを記しておられた。
うる憶えで恐縮ですが、まあそんなことで、山岡荘八はそこから
従って、戦後の者達がその価値観で照らし合わせて考えても
よく咀嚼できないものだと、仰っていた、はずです。

ロマン議長の革命と自由人さんのBIを歴史とか杉山茂丸とかに
重ね合わせて紹介しています。

わたしの専門はいつしか近現代史になってしまいましたが
古い友人ならご承知のように、陰陽学「易経」も丸かじりした者です。
で、最近、杉山の思想が非常によく解ってきました。
点と点が結ばれた。
その理由にこの「易経」があったとのか、としみじみ思う今日この頃です。

杉山茂丸の『俗戦国策』の巻頭第一章の見出しは
「世の勝者と敗者」という一頁から始まります。

これを馬太郎に解説すれば、どこまでいっても敗者の篩を説いていている。
つまり、これはギャンブルの理論と同じ。親じゃないよ、子の、です。
たとえば、
中山競馬場(現実世界)においての勝者と敗者と考えてみる。
ある者は、1Rから最終12Rまでひとつも的中できない。
これ、単純に敗者ですが、資金力の問題でなくなれば
船橋法典駅に帰るわけだ。
なかには、4Rの新馬戦か9Rの特別戦、10Rの準メインのハンデ戦
勝つ者もいるけれど、それは本日のメインレースに賭ける軍資金となります。
その資金額によって、賭け方も変わります。
さて、メインレースの勝敗は如何に? 当然、勝者と敗者は生まれる。
ここで敗者の半分は帰宅する。が、敗者でも幾ばくかの資金を残しているもの
また、メインレースの勝者のほとんどが最終レースに賭ける。

JRAの売り上げでメインレースの次に売上高の高いのは
準メインでも特別戦でもなく、最終12Rです。

ここで、乾坤一擲をやる者達が多い多い。

だいたい最終レースは冬時間で16時。夏時間で16時15分です。
ここでも勝者と敗者の篩が掛けられる。勝者はごく少数です。が、
まだ終わらない。
JRAの本日のレースがすべて終わっても、
大井競馬場でナイター競馬が開催されています。まからいけば、
最終レースまで3Rか4R勝負ができる。
なかにはタクシーでいく者もいる。

ここで、また勝者と敗者の篩が掛けられる。

で、終わって、とぼとぼとモノレールの駅に向かうと、その横断歩道に人集り。
近づくと、さっきまで予想屋の親爺が手作りの木製ルーレットを廻している。
そこにくしゃくしゃの千円札が張られているわけだ(笑)。

そんななかで、勝者は生まれる。
けれども、明日も競馬はあるし、来週も競馬はある。
台風や降雪で中止されても、順延されて、一年間に決まった回数の競馬がある。
公営競馬は平日もやっている。
だから、勝者生まれない。

パチンコやパチスロは毎日10時から23時までやていますからねえ。
今日勝っても、それは明日のタネ銭になりますから、決して儲からない。

株式投資も同じです。

証券会社や日経新聞は「投資はギャンブルではありません」というけれど
嘘です。投資は立派なギャンブルだと、思う。

で、あってもいいのです。人生はギャンブルだと考える人もいるわけですから。

しかしだ、そういった投資とか投機とか博打と
己の人生を重ねてよいものか?と杉山茂丸はまず、説いている。
それが『俗戦国策』の巻頭第一章の「世の勝者と敗者」の一頁に書かれている。

現在の勝ち組、負け組の発想もまったくこれと同じです。
経済発展の思想もこれだ。

もう、競馬やらパチンコはいいよ。

自由の国のアメリカの夢とロマン、アメリカンドリーム
これほどに、貧富の格差の国と国民が求めるアメリカンドリームは
今日もせっせと宝くじを買い続けることなのだといいます。

なにかが違う。そう思わないか?

競馬でも、パチンコでも、麻雀でも、投資でも、事業でも
失敗を極めた馬太郎が心を込めて贈る真心の福音でありまする(涙)。

それともやっぱり自分で体験しないとダメかな(汗)