あかんたれブルース

継続はチカラかな

働かざる者とは



BI(ベーシックインカム)から
「働く」について考えてみましょうよ。

「働かざる者は食うべかず」

江戸時代は国民の一割が武家でした。
これ、非生産的な日本の扶養家族と考えられる。
あとの8割が農民だったそうです。
またほんの数%の商人がいて、彼らが家康の考えたユートピアを破壊した。

商人というよりも、貨幣。そして金利です。

でもこれは、社会の進歩として仕方がない。

武士道と商人道はあっけなく商人道の勝ちとなったわけだ。
武士は絶滅しました。

こういった矛盾はすでに八代将軍吉宗の時代に大問題となっていた
わけですから大変ですよね。

関ヶ原大阪夏の陣冬の陣で武士は必要とされなくなったいた。
現在の社会になぞらえれば、自衛隊じゃないよ。公務員がそれにあたる。

話をすこし変えて、
そういった直線的な歴史考察ではなくて、側面から

石炭炭坑工夫というと過酷な労働というイメージです。
でも、それなりに過酷ではあっても労働の受け皿として、立派に
稼働循環していた。危険であって過酷ではあっても、
精神的にいまの労働環境よりはましでした。麻生さんのところは別ですが(汗)

この炭坑社会のなかに「働かざる」者が共生していました。

それをスカブラという。

毎日、ブラブラしていてスカッとしているからスカブラといったそうです。
スカッとしているとは、働かないことを意味している。
彼らは働かない。

過酷な労働の場で、スカブラは冗談を飛ばして労働者を笑わしていた。
それだけで彼らは容認されていた。
彼らは必要とされていたのだ。


いま、過酷な労働ってなんだろう?
主婦を労働者に見立てるのも変な話ですが、家電の普及進歩で
家事も以前に比べればそんなに過酷じゃない。
夫婦共稼ぎだから、そこに過酷は生まれます。

炭坑夫のような肉体労働の場もめっきり減ってしまいました。

でも、いつの時代でも過酷はついてまわる。
効率化、便利さ、すべてが過酷につながってもいる。

ひとつの会社組織で働いているのは2割だと記しましたが、
その残りの8割のなかにスカブラがいたのかもしれません。
また、一人一人のなかにもスカブラが在ったのかもしれない。
けれども、効率化はそれを許さない、からねえ。

ギクシャクしちゃう。楽しくない。
ストレスはたまる。発散するために、自分を肯定するために
イジメや否定や拒絶や不調が生まれる。過酷だ。

そこまでやって努力しても
外部的な要因で業績は急降下、なんてことも普通です。
経済システムが根本から歪なんだろうと思う。

なんのための「働く」なのか?

それを考えるときに
BI(ベーシックインカム)のことも一緒に
考えてみましょうよ、一緒に