あかんたれブルース

継続はチカラかな

洒落ですまない芸人の性



ここから山県の話を拡大させます。
ジャーナリストと、陰謀説について、再度やってみようと思います。

前回、巷の陰謀説には太田龍の影響(怨念)があるとしました。
もともと太田龍は左翼革命家でした。70年代以降は挫折して、
ユダヤ思想から数多くの陰謀説本を出した。その後はエコロジストとしても
執筆活動を拡大していきます。革命とエコロジーは連動するといわれます。
太田龍が最期のすかしっ屁として残したのが「明治天皇すり替え説」だった。

巷の田布施云々の日本の朝鮮人支配陰謀説はこんなところからです。
しかし、この太田龍八切止夫という作家に影響されている。
キーマンは八切止夫なのだ。

巷の陰謀説は一線を画したい検証していた落合莞爾氏も
例外ではありません。

八切止夫・・・面白い人です。
人気作家として一世を風靡した彼は独特の歴史観を売りにしていました。
それが、禍筆とも、その奇行ともいわれますが、出版業界からホサれて、
1972年には日本シェル出版を自ら立ち上げて出版活動を続けた。

彼の歴史観(八切史観といいます)を「独特」と表現したのは
そのすべてが、彼独自のものではないからです。
八切止夫が参考にした在野史学者を列記すれば、
重野安繹、久米邦武、村岡素一郎、喜田貞吉柳田国男三田村鳶魚
白柳秀湖中山太郎、高柳光寿、田村栄太郎、菊池山哉・・・など
を吸収咀嚼して、そこに自説をブレンドした八切史観を完成させた。

もともとが商業作家ですから、読者の心を掴むコツを知っている。
学者先生の小難しいもってまわった表現とは月とスッポンだ。
ただ、プロの水商売作家の性なのか、そのアウトローさから
どこまで信じていいのか、この辺が微妙なのです。
(すべて真実だ!とする読者もいたでしょうけれどね)

実際に、信長殺しは光秀じゃないとか家康は二人いたとか
現在でも小説やマンガやバラエティーショーのネタとしてあるでしょ。
あれは在野歴史家の異説を八切止夫のフィルターを通して
いい伝えられている史学都市伝説のようなものが素といって過言ではない。

ただ、惜しいのは八切止夫がその説の出典を明記していないこと。
それと彼のプロ作家としてのサービス精神が、それを正史の土俵に
上げられないという徒花にしてしまった。

それをわかりやすく説明すると彼の数多い著作物のコンテンツが
饒舌に語ってくれている。たとえば、

「すけべい武者」(花房助兵衛)とか、「おばきゅう武者」(大場久太郎)・・・

わたしは好きですけどね、このノリ(笑)
とても他人事とは思えない(涙)

でも、「ジェロニモ次郎右」とか「ウクレレ革命児」となると、
お笑い歴史時代劇になってしまって司馬史観と八切史観には自ずと乖離が生まれる。
まあ、朝日新聞東京スポーツぐらいの違いです。
職人というか、芸人の領域なんだな(涙)

ところが、厄介のは八切史観は東京スポーツほど、笑ってすまされない
信憑性もあったりするから非常に悩ましい。わけです。

さて、ここでさ、八切史観の常識を疑え、という姿勢に
「権力者による歴史の改ざん」があります。

これが、明治期に山県有朋によって行われたいう。
やっと、山県に繋がりました(汗)。

でも、長くなってので本日はここまでしておきます。

では、また明日 サヨナラ サヨナラ(古いねえ)