あかんたれブルース

継続はチカラかな

しきちゃんへ


>馬太郎さん、詳しいコメントありがとうございます。

馬)>>参加者にはそれぞれ色々な立場や姿勢や考え方がある。
  >>それでも、基本的に「平和」という共通認識は、ある。

>世の中、ごく一部の人を除けばみんな『平和』を望んでいますよ。
>右翼の人も左翼の人も。戦争をやりたがっている人なんてきわめて少数ですよ。
>多くの左翼の人たちが蛇蝎のように嫌うイスラエルの人たちもそうですよ。>あたしはイスラエルの人たちとネットでよくチャットするんですけど、
>みんな『われわれは平和を望んでいる』、『戦争は絶対反対だ。しかし・・・・』なんですね。

(馬のコメント)
イスラエルが望む「平和」というものイスラエルの条件が付くから
悩ましいのでしょうねえ。
わたしはイスラエルに同情はする。
アラブ諸国イスラエル。どっちが先に手を出したかといえば
アラブが先です。後はやったやられた目には目を・・・
これが砂漠の一神教の厄介なところです。
だから彼らが求める平和とか戦争反対には彼らの条件を満たしたもの
でなければならないので、厄介なんだと思います。
もっとシンプルに違う方法論じゃないと無理があるよなあ・・・
とわたしは思います。

馬)>>いま、混沌として閉塞をきたすジレンマは
  >>こういった単純な願いや祈りがまとまりを欠きカタチにならない
  >>ことだと思います。

>ジレンマといいますけど、
>圧倒的大多数の国民が平和を望んでいることは事実なんですけど、
>ネットを見ていると反平和的な主張が圧倒的に多いですよね。
>こうゆう点を考えてみる必要があるのではないでしょうか。

(馬)
だから、ジレンマに陥るのではないですか。
そして、そこには平和ボケの無関心があるわけでしょう。
本来、平和を望んでいるのに、その個人的環境の平和のなかで惚けている。
ネットでも「凄いですね」「美味しそうですね」で事は足ります。
自分さえよければそれでいい。
そういった考えに社会環境があることがジレンマの原因ではないですか。

どこまで反平和的とするかの線引きは難しいですが、
私的にはアンチ自虐史観からの万歳かぶれ連中とします。
でもね、わたしの知る軍事オタクやらマニアの方々は
非常に冷静に考察している方々多いです。
普通の常識があれば、そんな反平和的な主張はしません! それはバカです。
圧倒的に多く感じるのは、そういった良識的な方々が
バカを相手にしていないこと。そういったバカは声がデカイだけです。
まあ、しきちゃんの仰るようにそういうバカの所業を野放しにしている
ことも考えものなので、わたしが声を大にしてもいいですよ。
でもね、それをやると収集がつかなくなってしまう。
誰がバカで彼がバカとしても、だいたいみんな自分のことはバカだなんて
思ってはいません。時々心配になって自分よりバカぽい人をバカにすることは
あるでしょうが、そういったことじゃあバカの心配はおさまりません。
わたしなどは偉いもので、自分のバカさかげんを熟知していますから
大したものだと内心喜んでいる次第です。
ロマン議長とつ〜たんは呆れておりますが(涙)

>気を悪くするどころか、丁寧にコメントしてくださって大変感謝していますよ。
>馬太郎さんのご意見はもっともだと思いますし・・・・
>だって同調的なコメントは読んでいて気持ちいいかもしれないけど、
>自分のためには全くならないですからね。
>批判的なコメントは、それが建設的で論理的な考察に基づいた意見であれば、
自己批判のために非常に役に立ちますから大歓迎ですよ。

以下、取り敢えずコメントをコピペします。
>>しきちゃんさんの主張は「広島の原爆」から拡大して戦争全般の話います。

8月6日、9日、15日は先の大戦ついて反省する大切な日だと思います。
過去の戦争を風化させてはいけません。

先の大戦についてわれわれが理解すべき最も重要なことは、
日本が植民地支配と侵略戦争によって2000万の無辜のアジアの人びとを虐殺したこと。
そして現在も戦争責任をいい加減にしていること。
とくに北朝鮮と沖縄に対しては何ら補償をやっていないということだと思います。

もちろん日本も原爆投下や各地の大空襲、
あるいは敗戦直後のシベリア抑留などで苦しんだ人たちがたくさんいます。

しかし、日本の被害というのは、超特大の戦争犯罪の結果として齎されたものであり、
日本はあくまで加害国、戦犯国家であるという認識が必要だとおもうのです。

ところが現実はどうでしょうか?

8月6日にはほとんど原爆の被害についてばかり語られるのです。
もちろんそれ自体が悪いといっているのではありません。
原爆の悲劇は想像を絶するものであり、
二度とこのような悲劇を繰り返してはいけないことは明らかです。

しかし、問題なのは多くの日本人が原爆の被害によって
加害者から被害者に転落してしまっていることです。
先の大戦で一方的に計り知れない被害を被ったアジア、沖縄の人びとの視点が
完全に欠落しているものが非常に多いんですね。

それから原爆投下で見逃してはいけないのが、
3万〜5万ともいわれる在日朝鮮人、中国人の被爆者です。
これらの人たちは、国土を侵略され、強制連行などで日本に連れてこられて
苛酷な強制労働をやらされた挙句に被爆したのです。
4重、5重の被害者なのです。
これらの人びとに対する視点が完全に欠落してしまっているものが多いのです。

原爆の被害は確かに甚大ですけど、
自分たちが一方的に行なった植民地支配と侵略戦争という特大の犯罪によって齎された結果であるという
認識がなくなってしまうと危険だと思います。

横田めぐみ展』と同じようになったら非常に有害だと思いますね。

核兵器の恐ろしさを世界に知らせ、
核兵器の廃絶に貢献することこそ大切なのですから。

何度も繰り返しになってくどいようですが、
日本が先の大戦を振り返って最も考えなければならないことは『戦争責任』です。

日本は戦争責任をいい加減にするばかりか、現在でも日韓併合は合法的だったと強弁し、
政府高官の靖国参拝や『つくる会』の教科書のような
歴史歪曲教科書が国家検定を合格したり植民地支配の美化、
南京大虐殺の否定論などが跋扈しているありさまです。

このような巨悪の戦争犯罪を隠蔽し戦争責任をいい加減にしている
最大の原因が戦犯ヒロヒトの戦争責任が不問にされたことなんですね。

原爆投下でも最大の責任は戦犯ヒロヒトでしょう。

戦犯ヒロヒトを断罪して天皇教をやめない限り、
日本の戦争責任はいい加減にされ、
日本はアジアの国ぐにから信頼される国にはならないと思います。

このことを是非議論すべきだと思いますね。